戦時中、日本、ドイツで最も必要とし、かつ不足していたレアメタルがニッケルである。
戦前には最大の産出国カナダ(日本でいえばニューカレドニア等も)から鉱石や製品を輸入していたのだが、戦時中には日本の支配下でも、ドイツの支配下でも、必要量を産出する鉱山が無く、採掘された鉱山も小規模か、品位が低かった。特殊鋼を作るに当たってニッケルは金属ニッケルやフェロニッケル、含ニッケル鉄(ルッペ)の形で用いられたのだが、今回は日本とドイツで特異的に行われ、それなりに生産量をあげた日本のあるセメントメーカーの含ニッケル鉄の生産について書き写す。
「住友大阪セメント百年史」 住友大阪セメント株式会社
2008年3月発行
含ニッケル鉄の生産
七尾工場(北陸地方 旧七尾セメント)が開戦前から生産していた含ニッケル鉄は、飛行機・魚雷・戦車などの主要部品や砲弾などに欠かせぬ金属で、軍から増産を強く要望されていた。同製品は京都府北部の大江山鉱山から供給される含ニッケル鉱土を主原料にしており、同鉱山を発見した日本電気工業㈱(現・昭和電工㈱)社長の森矗昶(のぶてる)からの要請もあって事業化に着手したものだった。休止中のキルンを利用して試験製錬を開始したのは昭和14(1939)年で、製錬法は、当時有名だったドイツのクルップ社のレン法導入には多くの資金と時間を要したため、工務部長の眞田義彰が独創的な方法を開発した。(含ニッケル鉄鉱土・無煙炭・石灰石を湿式粉砕機で粉状にして一定化でよく調合した後、ロータリーキルン内で約1,300℃まで加熱して、鉱土中のニッケルと鉄を還元して含ニッケル鉄を得る。)
その後、製法に自信がつき、軍需物資としての重要性も認識されてきたので、16年8月にはさらにキルン1基を含ニッケル鉄生産に転換、同年12月には陸軍の監督工場に指定された。太平洋戦争開戦後は海軍にも製品の真価が認められ、その後援のもとに17年4月から3号キルンも含ニッケル鉄生産に転換し、セメント生産を休止、18年9月には高松宮殿下が工場視察に訪れている。主な納入先は、大阪陸軍造兵廠、日本冶金川崎工場、日本ニッケル若原工場、大谷重工業恩賀島工場など陸海軍の指定工場であった。19年2月には海軍監督工場にも指定された。
また、この間の17年8月、当社は昭和製鋼所および三菱鉱業から、レン法特許実施権の譲渡をうけている。
含ニッケル鉄生産数量
昭和17年 21,042トン
昭和18年 24,939トン
昭和19年 15,787トン
昭和20年上期 2,090トン
戦時中の日本におけるニッケル生産の最良のバイブル
「ニッケルとコバルト」日本鉱業会
昭和26年9月5日発行 白亜書房
よりこれらの記述を補足する。
取扱原鉱量(乾鉱量)
1939年
大江山鉱山 8,531トン
1940年
大江山鉱山 27,443トン
若狭鉱山 667トン
合計 28,120トン
1941年
大江山鉱山 46,038トン
1942年
大江山鉱山 64,550トン
若狭鉱山 6,945トン
合計 71,495トン
以後不詳
原鉱主要成分(1942年)
大江山鉱山 Ni0.47% Fe23.83% Cr0.44%
若狭鉱山 Ni0.50% Fe37.74% Cr0.69%
含ニッケル鉄生産実績
1939年 115トン
1940年 4,511トン
1941年 10,261トン
1942年 14,892トン
以後不詳
含ニッケル鉄主要成分(1942年)
Ni2.08% Co0.11% Cr1.61% Fe94.13% S0.223% P0.090% C1.18%
含ニッケル鉄をそのまま単独に塩基性電気炉で熔錬し試製した鋼材の成分は
N0.1
C0.36%, Si0.20%, Mn0.42%, P0.03%, S0.014%
Ni2.78%, Cr0.87%, Co0.33%
N0.2
C0.15%, Si0.14%, Mn0.64%, P0.018%, S0.029%
Ni2.81%, Cr0.14% Co0.28%
となり、コバルトの含有を除けばそれぞれ陸軍地金仮規格自動車鋼7号Ni-Cr鋼 、陸軍地金仮規格自動車鋼7種Ni-Cr鋼に近い。
参考資料
「呉海軍工廠製鋼部資料集成」平成8年8月15日発行
「戦前軍用特殊鋼技術の導入と開発」日本鉄鋼協会
平成3年3月28日発行