実のところ、日本の戦時中の航空燃料生産については、「陸軍燃料廠史 岩国編」・「陸軍燃料廠史 技術編 満州編」・「日本海軍燃料史(上)(下)」を読んでも、概略さえ見えてこない。それも、これも南方での航空燃料生産に関する記述が圧倒的に少ない事に起因する。
南方での航空燃料生産を類推する手掛かりとして、昭和18年に発表された「燃料協會誌第250號」に書かれた陸軍燃料廠陸軍中佐 明石 正水氏の「パレムバンの製油所」(明石報告)という日本占領前の航空燃料生産に関する論文が最も役に立つ。これにより、戦前のパレンバンでの航空燃料生産のレベルや品質を窺い知る事が出来る。姫は「明石報告」を
「南方産業技術総覧」昭和19年6月20日発行 山海堂
(古書市や大きな図書館で意外と見る事が出来る。千円か二千円で買ったと思うが、内容的には数万円の価値があると思う。)
に転載されたもので読んでいた。「燃料協會誌」にパレンバンの記述があるのであれば、バリックパパンやその他の製油所のもっと詳しい(それなりの記述は散見される)記述があるのではと無いかと思い立ち、昨日、市内某所に「燃料協會誌」のバックナンバーを見に行ってきた。そこには、バックナンバーが全部揃えてあり、コピー(有料)もやり放題なのだが、コピー機が無いので、質札として運転免許証を預け、製本した分厚い「燃料協會誌」を抱えて、遠く離れたコピー機のある場所まで歩いていかなければならないという体力のいる所だった。で、結果からすると他の製油所の航空燃料生産に関する記述は見つからなかった。目を通したのは、昭和15年、昭和16年、昭和17年、昭和18年、昭和19年、昭和20年、昭和21年だったのだが、それなりに面白い資料を見る事が出来た。
内容は人造石油、松根油、潤滑油、石油の接触分解など実験室での研究レポートが多いのだが、それは当時の日本の情況を見れば、量産など不可能ですよ。と云っているのと同じで、ある意味心の折れる内容だった。石炭や天然ガス、木炭などの記述もあったのだが、今回は時間がなかったので封印してきた。
最近、独逸を始めとした枢軸国側の資源に関心を持ち、邦文で書かれた資料をちょこちょこ捜しているのだが、今回も少しは為になる話があったので、姫的に面白いと思った話を少しだけ紹介する。
1.ポーランド分割の独ソ協定の結果ドイツは1938年の年産に於いて136,450噸を出したヤスロー油田を、ソ連は同370,800噸を出したドロホビッツ及びスタニスラオー油田を獲得した。
2.ドイツはルーマニアからダニューブ河(冬期結氷)を通って石油を輸入。戦前の予測では1カ年最大100万~130万噸
3.1938年ソ連の石油輸出は115万噸に低下(1932年610万噸)。ドイツへの輸出余力はさほどない。
4.ダニューブ河油槽船国籍、隻数、噸数
ドイツ 128隻 90,675噸
ユーゴスラビア 42隻 31,711噸
フランス 14隻 9,742噸
ブルガリア 8隻 6,800噸
ルーマニア 56隻 26,857噸
イギリス 30隻 22,369噸
ハンガリー 15隻 10,408噸
ベルギー 2隻 1,500噸
スイス 2隻 1,020噸
オランダ 1隻 172噸
合計 298隻 201,315噸
(オイル・アンド・ガス・ジャーナル1939年12月28日號)
5.イタリアの原油生産高は1938年13,000トン(アルバニアは65,000トン)これらの原油は一般にアスファルト性で硫黄分も多い。水素添加が必要。
6.イタリアの燃料用アルコール製造量は1937年度に無水アルコール3万トン。同国における砂糖の需要が増大した結果、アルコールの原料が不足し、燃料用アルコールの増産は不可能
7.戦前、エストニアには隣接諸国よりシェールガソリン(油母頁岩油)の買い付けが殺到し、同国のシェール油工業は戦争景気に活況を呈して来たが、これに対し50%の応需力しかない。
お知らせ
ここを維持するに当たり、娘からPCを借りているのだが、10月に娘が大阪に転勤する事がきまった。と云うわけでここを書く手段が無くなったので、お休みします。妻より皆様の電話番号を全て消去されるという情けない状態にあり(どうか電話しないで下さい)当然ここのパスワードも虚空の彼方に消えていったし、感想メールも1本もこないけれどもどっこい生きていきます。
ところで「貴君」ってオレのことか?