妻より「この趣味を続けるのなら離婚する。」とはっきり宣告される。離婚するのはいいのだけれど、住むところも無く、仕事も忙しいので、表面的には趣味に封印をする。・・・・・が妻と娘が数日家を離れるので、書き込みをしようと思う。基本的に人の書かない事を書く主義なのだが、世間の反応がまったく無いという事は、結局誰も読んでいないか、訳が分からないからなのであろうから、危険な割には得る物は何も無い。

「明治三十七、八年日露戦役給養史」日露戦役給養史編纂委員会
       明治四十五年発行

最近、業務上、異常に血糖値の高くなる日々を送っているので上記のような本を盗み見る。
かねてより「日露戦役と脚気と森林太郎」に興味を持っているのだが、今回は旅順攻囲戦における第三軍の給養から色々な事を考えてみる。

前置き
日露戦役において陸軍が明治三十八年十二月までに内地にて調弁した主要な物は
精米    1,899,090石
玄米      533,210石
挽割麦     421,785石
糒        68,818石
重焼麺麭  7,136,485貫
大麦(馬糧)3,672,970石
燕麦(馬糧)  385,896石

日露戦役において陸軍が明治三十八年十二月までの出戦軍糧秣総受払から給与の主要な物は
精米    1,479,851石
糯米        5,836石
支那及台湾米   17,287石
台湾玄米      2,860石
挽割麦     351,172石
糒         6,063石
重焼麺麭  2,612,091貫
大麦(馬糧)2,956,701石
燕麦(馬糧)  120,317石

 明治三十七年八月から明治三十九年四月までの満州軍倉庫糧秣補給総量から第三軍向けの主要な物は
精米    181,854石
糯米      1,051石
支那及台湾米  2,017石
支那及台湾玄米 1,470石
挽割麦    59,582石
糒       1,116石
重焼麺麭  596,136貫
大麦(馬糧)442,772石
燕麦(馬糧) 26,412石
となる。

さて、旅順攻囲戦における第一師団、第九師団、第十一師団の給養のうち主食と脚気に関する記述を上記本から書き写し始める。

第一師団
① 攻城準備期間の給養
主食は脚気予防として精米定量の四分の一の割麦を混用
② 第一回総攻撃間及其の以後の給養
宿営地区は敵の防御線に接近し極めて危険なるより戦列隊の大部は大行李を招致する能はす遠く後方にて炊爨し夜暗を利用し之か運搬分配を為したり故に適当の時に於て良好の給養をなすこと頗る困難にして日々麺麭一食を混用するの止むを得さるに至れり
第一線部隊は殆と壕内に土居し兵卒は交互坑道作業に従事せるより自ら脚気病発生の傾あり即ち之か予防として麦飯給養を励行したり時恰も盛夏に会し日々三食を一時に炊爨し前送せさるを得さる状態なるより各部隊は其の腐敗を考慮し夕一食を麦飯とせるあり夕、朝二食を麦飯とせるものありしか昼食は一般に重焼麺麭を使用せり
糧食品の実況・脚気予防の為麦飯を実行したるも本期間に於ける実況は各隊却て企望する状あり
③ 第二回総攻撃及其の以後の給養
腐敗の憂なく寧ろ氷結の虞あるに至れり故に日々一回の麺麭食は自然必要なく三食共米麦飯を用うるに至れり

第九師団
① 第一回総攻撃間の給養
兵餉は握飯若は包布及古紙等に包み或は焼飯となせり内部に梅干しを入るるもの多し
② 第一回総攻撃中止後の給養
脚気予防の為麦飯を用い来りしも此の時期に在りては尚腐敗の恐れあり故に夕食は午後六時朝昼二食は午後十一時前後に運搬し変敗を防かしむることとせり
③ 第三回総攻撃及其の以後の給養
各部隊給養の状況は第二期と同一法を採り多くは握飯の分配を為したるも本期間は往々凍結の虞ありて麦飯の如きは一般に之を厭ふの傾と為れり故に第一線に於ては従来割麦の分量即ち米の四分の一なるを改めて五分の一とし後方は麦三分、米七分

                                                                   続く