「明治三十七、八年日露戦役給養史」の旅順攻囲戦における第三軍の状況を読めば、あたかも挽割麦が必要量を供給されていたかの錯覚を覚える。「アジア歴史資料センター」で「挽割麦」をキーワードに検索してみれば、場当たりで拙速な印象を受け到底、明治三十七年中は必要量をまったく満たさなかったことを想像させる。脚気のはっきりした原因を把握していなかった当時、経験的に編み出された「麦飯」の導入を、補給態勢の不備(糧食品の繁雑化、補給能力の不足)の為と一部頑迷な軍医たち無言の圧力の前に、開戦にあたりあっさり切り捨てた陸軍も、開戦後、脚気患者続出の前に当たり前のように「麦飯」を給与するしかなかった。
 日露戦役に陸軍の脚気について考えると上記の本から色々な事が見えてくる。
「磨擦米」精米をさらにキレイにしたもので現代の無洗米と同様のものである。戦地での水の欠乏を考え導入されたもので、ぬか部分(ビタミンB1)がさらに取り去られている。
これも本当にわずかであるが、脚気を助長することになったかもしれない。
「重焼麺麭」アメリカなどから輸入された小麦粉で焼かれたもので、栄養的には精米となんら変わらない。当時は原因が分からなかった性もあるが、「麦」という言葉から脚気に対して何らかの効果があると思われていた節がある。
「牛缶」牛肉は脚気に対して何らかの効果があると思われていたのであろう。しかし、実際のところ「味付け缶詰」100g(汁も含む)に含まれるビタミンB1はわずかに0.03mgである。ちなみに鶏もも(皮つき)で0.09mg、羊(ロース マトン)で0.06mg、山羊で0.07mg、鶏卵(ゆで)で0.07mgである。
「豚肉」戦場になった土地がらか食肉としてはもっとも用いられている。豚ばら脂身なし(中型種)で100g当たり0.52mgのビタミンB1を含有している。ビタミンの存在を知らなかったとはいえ、実は中国の豚さんが多くの日本兵の命を救ったのである。
「海苔」下賜された食品の中に見たことがある。青のり(素干し)100g当たり0.56mgのビタミンB1を含む。(ところで、握り飯を海苔で包むようになったのはいつのことなんだろう?)
「食品標準成分表」によれば生活活動強度Ⅲ(やや重い)における栄養所要量を見れば男性(20~29歳)でビタミンB1 1.2mg、エネルギーで3,050キロカロリーである。