三菱商事の社史を読んでいると、第2次大戦勃発後もシベリア鉄道を経由して、満州産大豆を輸入している事が分かる。
「東欧経済史」I.T.ベランキ G.ラーンキ 共著 監訳 南塚信吾
1978年5月30日発行 中央大学出版部
の中で「ドイツ戦時経済体制のもとで」という章が設けられている。この章で東欧諸国のナチスドイツとの経済的協力について触れられているのだが、ブルガリアとハンガリーがドイツが求める大豆(油性種子)の生産を行った。てっきりマーガリンの材料として、独ソ開戦後、満州大豆の代替品として作られるようになったのかと思えばそうではなかった。
ドイツでの大豆の利用目的として当然、搾油がメインと思っていたが、実は油を絞ったあとの豆粕も重要だった。当時のドイツでは食糧の自給は出来なかった、ドイツの農業といえば豚や牛の飼育など畜産を思い浮かべるが、実際その飼料、特に高蛋白な油粕は輸入に頼っていた。
ドイツの飼料の輸入は1928年、500万噸で
1931年
燕麦 67万噸
玉蜀黍 36万噸
糠 13万噸
油粕 186万噸
穀物屑 17万噸
魚粉 8万噸
其の他 10万噸
合計 337万噸
となっている。
油を絞る為の油料子実の輸入量を見れば、
1933年
大豆 117.1万噸
亜麻仁 35.8万噸
落花生 26.4万噸
パームカネル 24.8万噸
コプラ 12.1万噸
其の他 6.8万噸
合計 223.0万噸
となっている。
これらの油料子実から搾油した油粕の生産量は
1933年
大豆抽出粕 960,100噸
亜麻仁粕 232,000噸
落花生粕 173,700噸
棕櫚粕(パーム) 129,100噸
椰子粕 42,400噸
菜種粕 15,200噸
向日葵粕 11,600噸
大麻子粕 7,900噸
罌粟核粕 4,400噸
綿実粕 150噸
合計 1,579,750噸
となっている。
さらに、ドイツ国内で搾油した油粕だけでは足りなく
1933年
落花生粕 128,200噸
大豆粕 96,000噸
亜麻仁粕 85,500噸
椰子粕 74,200噸
綿実粕 44,600噸
向日葵粕 43,700噸
棕櫚粕 34,700噸
菜種粕 15,200噸
大麻子粕 7,900噸
其の他油粕 13,300噸
輸入合計 527,400噸
輸出合計 67,400噸
差引輸入超過 460,000噸
輸入している。
満州での大豆生産高を見ると
1933年 4,601,000噸
1934年 3,398,305噸
1935年 3,859,018噸
1936年 4,147,266噸
1937年 4,352,475噸
1938年 4,765,456噸
(ちなみに1938年第2位は米国で1,098,130噸である。)
ナチスドイツが政権を執ると急速な軍備増強により、軍需物資の輸入に重点が置かれ、外貨保有が急速に少なくなる。この点は中国との戦争により、資源・機械を大量に輸入し、外貨保有、金保有が少なくなっていった日本と実に似通っている。共に外貨保有が少ない国どうし、バーター取引が行われるようになる。例えばドイツの工作機械と日本側の大豆、鯨油、缶詰などだ。それでも、大豆の輸入は制限され
1934年 899,242噸
1935年 507,714噸
1936年 476,440噸
1937年 591,309噸
と半減する。
ドイツは油料子実自給政策の一変形として大豆の供給を自国の製品市場だったバルカン諸国に求めた。昭和9年ごろハンガリーにその交渉を行い、ルーマニアでは昭和7年頃より農事試験場での栽培が始まった。ブルガリアでは昭和の初めより試作を始め、昭和10年には契約、2,500haの栽培を行った。なお、大豆はヨーロッパではまったく生産されていなかった。
引用・参考文献
「独逸と満州大豆」南満州鉄道株式会社 地方部商工課
昭和十年三月三十日発行
「統計 世界主要油料子実・油脂・飼料類 ―生産・輸出・輸入―」
満州特産中央会 康徳五年十月五日発行(1938年)
「欧州に於ける満州大豆其の他の取引事情
特産資料B第4 」
満州特産中央会 昭和11年9月15日納本