ある質問コーナーに日本占領下にあったパレンバンが、どれくらい航空燃料生産に役にたったか問い合わせがあった。そんな事が簡単に分かる位なら誰も苦労はしない。質問者の想像であれば戦艦大和と同じく、それはそれは日本の製油技術も製造量も立派だったと云って欲しかったのであろうが、やっぱり、そこは日本なのである。
 私の知る範囲内でパレンバンの製油量を詳しく書いた邦文は存在しない。そこで、

「  太平洋戦争白書 第19巻
  THE UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURRVEY
          Oil and Chemical Division
            OIL IN JAPAN’S WAR               」
 1992年6月25日発行  日本図書センター

から、一部存在する(ルトン、チャプーなどの石油精製量は何処にあるのだろう?)南方の製油所の石油精製量を調べ、エクセルを使い表にして見た。上記の英文は

「  アメリカ合衆国戦略爆撃調査団・石油・化学部報告
       日本における戦争と石油         」
      奥田英雄・橋本啓子訳編  石油評論社
という邦文にまとめられているのだが、南方の石油精製についてはすっぽり抜けている。訳者達の想いと姫の石油に対する想いが違うので、「日本における戦争と石油」の考え方が実に中途半端な形になってしまっている。
 これより、年度ごとのパレンバン第一製油所、パレンバン第二製油所、と参考に北スマトラ、バリックパパン、海軍燃料廠、陸軍燃料廠、日本石油の航空燃料生産を書き写すが、原本は月毎の記録が載っており、エクセルでまとめたのだが、ここにエクセルを写す方法を知らないので、年度ごとの記載にとどめる。なお、原本の単位はバーレルだったが、1バーレル=159Lに換算し、編集した。さらに、これらの元の数値は終戦のドサクサに焼かれ、戦災を被っているのでおそらくアバウトな数値だと思われるが、実数(もはや誰も分からないし、興味もない)とそれほどかけ離れてはいないと思う。

 南方燃料廠 南スマトラ支廠(パレンバン)
  第一製油所【旧PBM プラジュー(PADJOE)製油所】
1942年6月~1943年3月
  256,600KL
1943年4月~1944年3月
  379,500KL
1944年4月~1945年3月
  411,970KL
1945年4月~1945年7月
   48,300KL
合計
 1,096,500KL

 南方燃料廠 南スマトラ支廠(パレンバン)
  第二製油所【旧NKPM スンゲィゲロン(SOENGAIGERONG)製油所】
1943年6月~1944年3月
   77,000KL
1944年4月~1945年3月
  152,600KL
1945年4月~1945年7月
   24,300KL
合計
  253,923KL

 南方燃料廠 北スマトラ支廠
  北スマトラ製油所【旧パンカンブランタン(PANGKALNBRANDAN)製油所】
1943年5月~1944年3月
  132,300KL
1944年4月~1945年3月
   91,100KL
1945年4月~1945年7月
   35,100KL
合計
  258,500KL

 第百二海軍燃料廠
  バリックパパン製油所【旧BPM バリックパパン(BALOKPAPAN)製油所】
1942年
  210,000KL(39,000竏)
1943年
  271,900KL(120,000竏)
1944年
  223,400KL(50,000竏)
1945年
   24,000KL(10,000竏)
合計
  729,500KL(219,000竏)
      ※( )内は海軍燃料史より

海軍燃料廠【第二(徳山)、第三(四日市)、第六(台湾、高雄)】
1941年4月~1942年3月
  217,000KL
1942年4月~1943年3月
  245,200KL
1943年4月~1944年3月
  213,200KL
1944年4月~1945年3月
  167,600KL
1945年4月~1945年8月
    3,600KL
合計
  629,500KL

陸軍燃料廠【岩国、四平(満州)、錦西(満州)】
1942年4月~1943年3月
   59,600KL
1943年4月~1944年3月
   80,400KL
1944年4月~1945年3月
   53,400KL
1945年4月~1945年6月
      600KL
合計
  140,700KL

日本石油【柏崎・横浜・関西・北海道(手稲)・名古屋・川崎、鶴見・新潟・東京
     下松・秋田・台湾】
1941年4月~1942年3月
   83,700KL
1942年4月~1943年3月
   20,400KL
1943年4月~1944年3月
   30,500KL
1944年4月~1945年3月
   21,900KL
1945年4月~1945年8月
    7,400KL
合計
  164,000KL
   (航空燃料を生産していたのは傘下の一部の製油所だけである)

他に、国内各石油精製会社の月毎の航空燃料生産の記録もあるのだが、それはまたの機会とする。

引用・参考文献
「資料丙第三百十二號C(第八調査委員会資料二十三)
      南方諸地域の石油(未定稿)        」
 昭和十八年二月二十五日発行 東亜研究所

「パレンバンの石油部隊」パレンバンの石油部隊刊行会
 昭和四十八年二月一六日発行

「陸軍燃料廠史 岩国編」岩燃史編纂委員会
 昭和54年6月30日発行

「陸軍燃料廠史 技術編 満州編」陸燃史編纂委員会
 昭和54年12月10日発行

「日本海軍燃料史(上)(下)」燃料懇話会
 昭和47年10月25日発行 原書房

「日本航空燃料史」嘉納吉彦
 昭和31年10月31日発行 養賢堂