「日露戦争軍医の日記」
   昭和55年11月1日発行 ユニオン出版株式会社

 姫が学校に行くため、塩っぱい川を渡るまで「すき焼き」といえば豚肉を使っていた。当時は「肉鍋」と言っていた。牛肉など数えるほどしか食べたことが無く(確かに貧しかった事もあるが)、子供の頃住んでいた町の肉屋にも牛肉は売っていなかったと思う。
 日露戦争当時、満州に渡った陸軍将兵が豚肉を食べる事により、ある程度「脚気」を防ぐ事が出来て救われたと書いたことがる。しかし、上記の本を読んでなかなか上手くはいかないものだと思った。
 上記の本は、日露戦役に第八師団加藤健之助軍医の日記と参考綴りを大江志乃夫氏の監修のもとに作られたものである。第八師団の実戦参加は遅く、明治38年1月末の黒溝台戦と3月の奉天会戦が主なものである。戦地に赴いたのも遅かったが、総予備として実戦に参加する機会が与えられなかった。参考綴りの中には多岐に渡る事が書かれ、軍糧に関する事も書かれていて、豚肉に関する面白い記述がある。

   動物性食品
 本種類中最モ多ク調弁シタルモノハ豚鶏及鶏卵トス比較的廉価ニシテツ初メ兵卒ノ嗜好ヲ受ケ三十七年十月上陸以来三十八年五月迄之ヲ調弁支給シタル然レトモ由来肉食ニ慣レサル我兵ハ暫次之レヲ嫌厭スルニ至リ上陸当時ヨリ三十八年一二月頃ニ亘ルノ交宿営地方(烟台附近黒溝台附近)豚ノ払底ニ拘ラス捜索徴買ニ努メタル兵卒ハ五六月ノ頃ニ至リテハ宿営地附近豚頗ル豊富ナルニ拘ラス之レヲ獲ント欲セサルノミナラス支給スルモ喜ハサルニ至レリ加之三十八年五月十四日沙苓堡ニ於テ其筋ヨリ該地方産ノ豚肉ニ旋毛虫ヲ有スルニヨリ煮熱ヲ励行スヘキ件達セラレ且ツ沙苓堡姑夫屯附近ノ豚肉ハ往々一種の包子虫(獣医ノ検診ヲ受ク)ヲ有スル等益々兵卒ハ之レヲ食スルヲ欲セス時亦タ漸ク暑ニ向ヒタルヲ以テ豚ヲ食スルコトニ就テハ殆ント全ク無ナルニ至リ三十八年六月以降ハ之ガ支給ヲ見合セリ然レトモ時漸ク寒ニ向ハハ各兵再ヒ之レヲ欲スルニ至ルヘキヤ疑ナカラン
 (P144~145)
 
家の奥さんじゃないけれど、「肉」といえば「鶏」か「牛」なのである。欧米並みに、ハム、ソーセージ、ウインナー、ベーコンなどの豚肉加工品がないところが悲しいところである。

 「脚気」と「麦飯」に関する第八師団の面白い記述があるので書き写す。
 
 明治三十七年十一月十八日脚気予防トシテ試用小豆ヲ同廿六日ヨリ脚気兆候ノ希望者ニ挽割麦ヲ同三十八年四月十三日ヨリ一般麦飯ヲ給セラレルルニ至リタリ其ノ結果支給前ニ比シ該患者減少シタルカ如シ
 (P172)

 日露戦役における麦飯の全面支給は奉天会戦後の中だるみ状態の中で行われた事は間違いない。