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「日露戦役従軍略記」NO.3

      親展 カンタニャック様

 この本の中に日露戦争の時に、著者が従事した日本人戦死者の処置の話があります。これは奉天会戦後まだ日露戦争が終結する前の事です。

 仮埋葬地に埋葬された戦死者を発掘し、火葬(過半数はすでに火葬してあったとあります)にします。忠魂碑(石碑、鳥居、門扉構えの立派なもの)+共同墓地を建立し遺骨を埋葬しました。共同墓地の除幕式では次のような場面があります。
「障害物競走、角力、剣舞、演劇等余興予定通り運ぶ。ことに第七分隊の神輿、一小隊の音楽隊尤も好評なりし、其外団子屋、善哉屋、キントン屋、酒屋、飯屋、サツマ汁屋中々繁盛したり」

クリーン・タンカー

 タンカーは積載する油の種類により、2つに分かれるらしい。ガソリン及びそれに近いものを積むものをクリーン・タンカー。原油または重油を積むものをダーティー・タンカーという。クリーン・タンカーに原油・重油を積んでしまうと、油槽を洗浄しなければならない(これはかなり大変だと戦前の本に書いてあった。)。ダーティー・タンカーに積まれたガソリンは再処理しなければ使えない。
 戦前、アメリカから輸入し備蓄された航空燃料はそのほとんどがドラム缶(木樽も)で運ばれた。戦前、戦時中、航空燃料運搬専用として使われた第二菱丸(856総トン、昭和12年2月1日竣工)は日本の代表的なクリーン・タンカーだが、戦時中に使われた日本のタンカー意外と節操なく原油・重油と航空燃料を積みこんでる気配がある。この辺の所をどう解決していたのか、誰かに聞きたいと思っている。
 引用・参考文献
「油槽船の研究」 脇村義太郎 昭和五十七年一月十五日
「日本郵船戦時船史」
 

浮航ドック

 「太平洋戦争 アメリカ水兵日記」ジェームズ・J・フェーイー
  NTT出版 1994年8月15日
 この本の中でエスピリトゥ・サント島の浮航ドック(ABSD-1?)の話が出てくる。この著者の乗艦はモンペリエ Montpelier(CL-57)で1944年1月15日に入渠している。このドックの使用は2隻目で、この艦が入渠した前の週にクリーブランド Cleveland(CL-55)が始めて使用したとある。このドック、戦艦も入渠出来るのだが、わが帝国海軍のトラック島に在った海軍浮船渠 公称 第3575号(揚力収容量5000トン 大型駆逐艦迄入渠可能)はあまりにも哀しい。
 参考・引用文献
 「日vs米 陸海軍基地」歴史群像太平洋戦争シリーズVol.28
 「日本の海軍 NO、7(海軍浮船渠船抄 )」
  日本海軍を記録する会 昭和55年9月

97式自動砲

 今週も3日も会社にお泊りである。本を買う暇も読む暇もないのだが、最近、こんな本を買った。
 「七師団戦記 ノモンハンの死闘 復刻版」原著者 三田真弘
  平成七年五月二十日発行 非売品
 文中で教育を受けた自動砲を師団司令部から来た将校がさっさと持っていってしまい、首を長くして待っている第一線には当たらない。ア然としてしまった。とある。
 みすみすソ連戦車に踏み潰されるのがよほどイヤだったのだろう。

 野球の長島ジャパンもオリンピック出場決定である。真に喜ばしい。96式一号艦戦と96式二号艦戦の区別はついても、分からないものは分からない。これは、最近のとある職場での上司と部下の会話である。
 「誉、巨人の二岡ってどれよ?」
 「目の前にいるじゃないですか。」
 二岡は二人の2.5m前に立っていた。

震度4

久々に大きい地震を実感する。幼少より幾多の地震を経験してきたが中々の物だった。
かつて小学校の時には目の前の煉瓦の煙突が崩れ落ちたし、宮城沖の時には炊飯器のスイッチを切ろうとして火傷したし、奥尻島の時にはそのまま眠り続けたプリンスもヤバイと思った。
 プリンスや身の回りではなんの被害もなかった上、書庫の天井まで積まれた本達も2冊ほど落下しただけで無事だった。命の惜しい人はぜひとも本や資料の購入を止めてほしいものである。

同盟国

 「戦時下日本のドイツ人たち」上田浩二・荒井訓 集英社文庫
を多大の期待を持って読む。裏切られたというか、残念な内容だった。
まあ、プリンスの思い込みが激しすぎた為だが、やはり求める物が違う上、視点も違うのだろう、突っ込みが全然足りなかった。
 せっかく、仮装巡洋艦「Michel」の乗員にもインタビューし、戦争末期に神戸にあったドイツ海軍の施設に勤務していた事を明らかにしているのに、その内容には一切触れられていないのである。これなど近所にお住まいのSちゃんが聞いたら泣いてくやしがるだろう。
 ドイツのメーカー、商社の駐在員などにも聞き取りを行っているが、仕事の話は表面的なもので、戦前、戦中の工業技術史、兵器技術史の謎を解き明かす力にはなっていない。(彼らは間違いなく何かを知っていた。)
ということのなので、この後に及んで
 「日本の航空母艦パーフェクトガイド」学研
 をなぜか購入する。

九六式十五糎加農

 「雪月夜」馳星周 双葉文庫を片手に
 「日本の要塞」学研を眺める。
 宗谷要塞、津軽要塞、レア物の重砲九六式十五糎加農を配備されていた。要塞とは言ってもらえないようだが、室蘭市にあった第八独立警備隊、10糎加農2門、15糎加農3門(内1門は未充足)を持ち、米軍の艦砲射撃に備えていた。実際、室蘭が艦砲射撃を受けた時には据え付け中で残念な事をしたが、10糎加農と15糎加農は九二式十加、九六式十五加だったんだろうか?
 また、米英軍から艦砲射撃をうけた釜石、日立、浜松、清水の防備はどうだったのかと考えると、実にまた奥の深いお話である。
 引用・参考文献
 稚内市史、室蘭市史、函館市史
 「釜石艦砲戦災誌」昭和51年3月25日
 と社員旅行中に五稜郭の土産物屋で買った
 「函館山要塞の終焉Ⅱ」會田金吾

特甲

 最近の楽しみといえば、誉君に教わった石田衣良の小説を読むことだ。それはそれで楽しい事なのだけれど、世間の無言の圧力をネット上で感じるのは根が小心者のせいだろう。
 「日本陸軍の傑作兵器 駄作兵器」佐山次郎 光人社NF文庫
書名のセンスは最低だが、内容は最高だ。
 大家さんに有るとは聞いていたが、旧陸軍のタングステン合金製対戦車徹甲弾の存在を教えてくれた。これも一ヶ月も休まず元気に働いているプリンスを仏様が見てご褒美に与えてくれたのであろう。一式機動四十七粍砲についての記載の中でタングステン・クローム製徹甲弾「特甲」の話があった。ぜひとも、どなたか心やさしい方がさらに詳しい話しを聞かせてくれる事を期待したいと思う。

L85 A1

 ヤマダ電器に買い物に出かけたら、YUJINのガチャポンがヅラッと並んでいた。妻から¥200を恵んでもらい、ライフルINアタッシュケースP-2を買った。出てきたのが今、イラクで英軍がご使用になっている小銃だった。一緒にシリーズで出ているFN FALを見て、フォークランド紛争やローデシアの傭兵に思いを馳せているのはプリンスだけか。

食玩

 仕事とは何も関係ないが、スーパーや一般小売向けのお菓子の展示会の招待券を貰ったので、業務の一環として、部下の誉君と行って来た。時代の趨勢か、食玩がかなりあり、今年の秋以降の新製品も展示されていた。チョコエッグ世界の戦闘機シリーズ2、タカラの海洋堂、「王立科学博物館、第一展示場、月とその彼方」の実物など中々興味深いものがあった。
 それにしても誉君、お土産を貰った上、サンプルのお菓子を紙袋に一杯詰めて帰った二人は、やっぱり恥ずかしい存在だったのでは・・・・