「昭和二十年 第一部=9
        国力の現状と民心の動向」
    著者   鳥居 民
    発行所  草思社
    発行日  2001年12月25日発行
    定価   2600円
 
 新ネタを拾いに行く時間は取れないが、本屋に立ち寄る時間と、本を読む時間だけは、なぜか有る。シリーズ化されているこの本も、私にはずいぶん参考になる。百何十万の人口を抱えていても、所詮「人の住むところではない土地の都」、図書館に行っても、やはり限度はある。この本の引用文献を見ていると「こんな本もあるのか」「こんな解釈の仕方もあるのか」とつくづく考えさせられる。

 この本では昭和20年を舞台に日本の鉱工業生産について語り、後半、当時の食糧事情について触れている。鉱工業生産では、石炭、製鉄、アルミニウム、航空機エンジン、木製機について書いている。私なんぞただの遊びで書いているが、これでお金を貰っている方はやはり違う、分かりやすいのである。しかし、この方面に興味を持っている人間は似通っているのであろうか、アルミニウムで「味の素」を取り上げているのを見たら、思わず笑ってしまった。

 この本で興味を引かれたのは「樺太の林産油」の記述である。松根油はよく知られているが、実は松葉からも松根油に似たテルペン類が抽出できるのである。私の知っている範囲でも、北見市の「美里開拓史」や北見市農協「組合のあゆみ」に「松葉油」採取の話がある。松葉油とはトドマツの葉をハッカ用(ハーブ。あのス~とするやつである。昔は北海道の十勝地方が産地だった。)の釜で蒸して油を採ったものである。樺太の場合は王子製紙のパルプを作る釜を利用し、どちらかと言うと、工場生産といえるべきものなのだ。「林産油」「松葉油」は、燃料史や燃料廠史などにも触れられていないので、ご存知ない方も多いと思う。私自身も航空燃料との関連がはっきりいってよくわからない。

 せっかく樺太の王子製紙について書いたので、チョット付け足しておくが、戦前、戦中の燃料に関して非常に興味深い生産をここで行っている。木材をパルプにする過程で廃液がでるのだが、この中には糖類が含まれている。この廃液をアルコール発酵させエタノールを生産していた。
 台湾や南洋群島での廃糖蜜を利用したエタノール生産には及びもしないが、量もかなりあり、当然時期的にも自動車ガソリンなどに使用されていた。

 アルミニウムの生産の記述の中に、「礬土頁岩からのアルミ生産が、苦労を重ねたわりには、低品位のものしかできなく、生産量もとるに足りない。」とある。確かにそう言われてしまえばそうなのだが、満州である程度まともな物を生産した所が実はあった。また、明礬石でも、元々昭和電工の初期のアルミニウムはこれを材料としており、ボーキサイトに材料を転換したのは、資源の枯渇と採算が悪かったせいだ。けっして日本にボーキサイト以外の材料によるアルミ生産の技術的蓄積が無かったわけではない。

 大正13年、満州の煙台で礬土頁岩が発見され、満鉄での製錬法の研究がすぐに着手された。長い研究、試験の後、昭和11年撫順にアルミニウム年産4000トンの(株)満州軽金属製造が設立され、昭和13年に初のインゴットを産出した。(株)満州飛行機製造が陸軍の二式高等練習機を3710機などと、日本ではトンデモナイ生産量を上げられたのも、実は満州の礬土頁岩のおかげだったのである。終戦前の航空機製造設備の満州移転も、実はここのアルミに期待するものだったのだ。(軽金属といえばマグネシウム合金があるが、満州、朝鮮はマグネシウムの鉱石マグネサイトの宝庫だった。当然、金属マグネシウムも精錬されマグネシウム合金も作られていたのだが、プリンスは無知なので当時の航空機にどのようにマグネシウム合金が使われていたか知らない。もし、「可哀想」に思った人がいたなら教えなさい。)

 (株)朝鮮窒素は全羅南道の明礬石に着目し、1931年からアルミ生産の計画を開始し、製造試験を実施し、途中、空白期間はあったが1939年には年産8000トンのアルミナ工場を興南に完成させた。2年後、月産500トン前後の生産を上げられるようになった。このように、アルミニウムも材料さえあればそれなりの物は生産できたのである。

 なお、これらのお話も後半に出てくる「学童疎開した子供たちの食事の献立」の前にはゴミみたいなものだ。

引用・参考文献
「酵母利用工業ー微生物工学講座4」
    昭和39年  共立出版
  「アルミニウム50年史」 昭和電工
  「忘れえぬ満鉄」
    昭和63年7月25日発行 世界文化社
  「満鉄調査部ー関係者の証言ー研究双書特2」編者井村哲郎
    1996年3月29日発行 アジア経済研究所
  「日本航空機総集 第七巻」編著者 野沢 正
    1980年1月20日発行 出版協同社
  「朝鮮における日窒コンツェルン」
    1985年10月15日発行 不二出版

 訂正

 「Uボート総覧」の中で、「ドイツ戦車の転輪が完全鋼製化されゴムが使用されなくなった。」と書きましたが、「大家さん」のご指摘によりゴムが使用されていることが分かりました。ここに訂正してお詫び申し上げます。ところで、「大家さん」はどうして、こうなんでも知っているのでしょうか?一度、お会いしてじっくりお話を伺いたいものです。