今日は、妻が外出し、旦那を昼中野放しにするというミスをおかす。

「明治卅七八年日露戰史 第五巻 第六巻」参謀本部編纂
  大正二年七月二十日発行

より旅順攻囲戦の第一師団歩兵第一連隊と後備歩兵第一旅団後備歩兵第一連隊の損害を書き写す

●(明治37年6月6日~30日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦傷    下士卒    3

歩兵第一連隊第三大隊
 戦傷    下士卒    1

歩兵第一連隊
 戦傷合計  下士卒    4

●(明治37年7月1日~30日)

歩兵第一連隊第二大隊
 戦傷    下士卒    1

●(明治37年7月26日~28日)
歩兵第一連隊第三大隊
 戦傷    下士卒    3

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    下士卒   31        
 総合計         32

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦傷    下士卒    3       

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    1
 戦傷合計  下士卒   34
 総合計         35

●(明治37年7月30日)

歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    将校     1 
        下士卒    8
 戦傷合計         9
 総合計         10

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    3
 戦傷    将校     1 
        下士卒   34
 戦傷合計        35
 総合計         38

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    下士卒    2
 戦傷    将校     4
        下士卒   10
 戦傷合計        14
 総合計         16

歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    6
 戦傷合計  将校     6 
         下士卒   52
 戦傷総合計       58
 総合計         64

●(明治37年8月13日~15日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒   18
 戦傷    将校     6 
        下士卒   33
 戦傷合計        39
 総合計         57

歩兵第一連隊第二大隊
 戦傷    下士卒    6

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    将校     1
        下士卒    1
 戦傷    下士卒    6
 戦死合計         2
 総合計          8

歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     1
         下士卒   19
 戦傷合計  将校     6 
         下士卒   45
 戦死総合計       20
 戦傷総合計       51
 総合計         71

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    2
 戦傷    下士卒   21
 総合計         23

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    将校     4
        下士卒   11
 戦傷    将校     2 
        下士卒   55
 戦死合計        15
 戦傷合計        57
 総合計         72

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     4
         下士卒   13
 戦傷合計  将校     2 
        下士卒   76
 戦死総合計       17
 戦傷総合計        78
 総合計         95

●(明治37年7月31日~8月17日)
後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    下士卒    3

●(明治37年8月18日~24日)
連隊司令部
 戦傷    将校     1

歩兵第一連隊第一大隊
 戦傷    下士卒    5

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒  107
 戦傷    将校    10
        下士卒  244
 戦傷合計       255
 総合計        361

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    将校     2
        下士卒  111
 戦傷    将校    19
        下士卒  340
 戦死合計       113
 戦傷合計       359
 総合計        472

歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     2
         下士卒  218
 戦傷合計  将校    30 
         下士卒  589
 戦死総合計      220
 戦傷総合計      619
 総合計        839

●(明治37年8月19日~24日)
後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    将校     4
        下士卒   88
 戦傷    将校     9 
        下士卒  331
 戦死合計        92
 戦傷合計       340
 総合計        432

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    将校     2
        下士卒   85
 戦傷    将校    13 
        下士卒  283
 戦死合計        87
 戦傷合計       296
 総合計        383

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     6
         下士卒  173
 戦傷合計  将校    22 
        下士卒  614
 戦死総合計      179
 戦傷総合計      636
 総合計        815

●(明治37年8月25日~9月18日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    4
 戦傷    将校     1
        下士卒   23
 戦傷合計        24
 総合計         28

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    3
 戦傷    将校     2
        下士卒   30
 戦傷合計        32
 総合計         35

歩兵第一連隊第三大隊
 戦傷    下士卒    7

歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    7
 戦傷合計  将校     3 
         下士卒   60
 戦傷総合計       63
 総合計         70

●(明治37年9月19日~22日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    将校     2
        下士卒   25
 戦傷    将校     5 
        下士卒  123
 戦死合計        27
 戦傷合計       128
 総合計        155

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    将校     1
        下士卒   18
 戦傷    将校     5
        下士卒    6
 戦死合計        19
 戦傷合計       101
 総合計        120

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    将校     1
        下士卒   21
 戦傷    将校     4
        下士卒   84
 戦死合計        22
 戦傷合計        88
 総合計        110

歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     4
         下士卒   64
 戦傷合計  将校    14 
         下士卒  303
 戦死総合計       68
 戦傷総合計      317
 総合計        385

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦傷    将校     1 
        下士卒    5
 戦傷合計         6

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒   42
 戦傷    将校     6 
        下士卒  140
 戦傷合計       146
 総合計        188

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒   42
 戦傷合計  将校     7 
         下士卒  145
 戦傷総合計       152
 総合計        194

●(明治37年9月23日~10月15日)
歩兵第一連隊第二大隊
 戦傷    下士卒    3

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    下士卒    2
 戦傷    将校     1
        下士卒   20
 戦傷合計        21
 総合計         23

歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    2
 戦傷合計  将校     1 
         下士卒   23
 戦死総合計        2
 戦傷総合計       24
 総合計         26

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    4
 戦傷    下士卒    5
 総合計          9

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦傷    下士卒    6

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    4
 戦傷合計  下士卒   11
 総合計         15

●(明治37年10月17日~25日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦傷    下士卒    3

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    1

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    将校     1
        下士卒    5
 戦傷合計         6
 総合計          7

歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    2
 戦傷合計  将校     1 
         下士卒    8
 戦傷総合計        9
 総合計         11

●(明治37年10月26日~31日)
歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    1

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒   12
 戦傷    将校     2
        下士卒   39
 戦傷合計        41
 総合計         53

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    下士卒    6
 総合計          5

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒   13
 戦傷合計  将校     2
         下士卒   43
 戦傷総合計       45
 総合計         58

●(明治37年11月1日~25日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    下士卒   12
 総合計         13

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    下士卒    4
 戦傷    将校     1
        下士卒    6
 戦傷合計         7
 総合計         11

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    下士卒    1
 戦傷    下士卒    4
 総合計          5

歩兵第一連隊
 戦死合計  下士卒    6
 戦傷合計  将校     1 
         下士卒   22
 戦傷総合計       23
 総合計         29

●(明治37年11月26日~12月6日)
連隊本部
 戦死    将校     1
 戦傷    将校     1
 総合計          2

歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    将校     8
        下士卒   76
 戦傷    将校     9 
        下士卒  157
 戦死合計        84
 戦傷合計       166
 総合計        250

歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    将校     6
        下士卒  150
 戦傷    将校    10
        下士卒  210
 戦死合計       156
 戦傷合計       220
 総合計        376

歩兵第一連隊第三大隊
 戦死    将校     7
        下士卒  106
 戦傷    将校     7
        下士卒  229
 戦死合計       113
 戦傷合計       236
 総合計        349

歩兵第一連隊
 戦死合計  将校    22
         下士卒  332
 戦傷合計  将校    27 
         下士卒  596
 戦死総合計      354
 戦傷総合計      623
 総合計        997

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    将校     3
        下士卒   41
 戦傷    将校     3 
        下士卒  196
 戦死合計        44
 戦傷合計       199
 総合計        243

後備歩兵第一連隊第二大隊
 戦死    将校     1
        下士卒   43
 戦傷    将校     4 
        下士卒  148
 戦死合計        44
 戦傷合計       152
 総合計        196

後備歩兵第一連隊
 戦死合計  将校     4  
         下士卒   84
 戦傷合計  将校     7 
         下士卒  344
 戦死総合計       88
 戦傷総合計      351
 総合計        439

●(明治37年12月7日~17日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    1

後備歩兵第一連隊第一大隊
 戦死    下士卒    2
 戦傷    下士卒     1
 総合計           3

●(明治37年12月28日~1月2日)
歩兵第一連隊第一大隊
 戦傷    下士卒    1

「軍談 秋山真之の日露戦争回顧碌」新人物文庫
  2007年2月7日 新人物往来社
 本の解説とは面白い物で、当然解説者は、その道に詳しいというか、研究者だと誰しも思うだろう。次の文を書き写す。

 旧参謀本部による「日露戦史」は明治四十一、四十二年に刊行されています。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を執筆するために神田古書街の日露戦争関係の資料をごっそり買い占めたといわれますが、この膨大な分量の参謀部本については「重いばかりで全く三文の価値もないくず本」と断定しています。
 なぜかというと、公式の日露戦史記録でありながら、参謀本部にとって都合の悪い事実、失敗はすべて隠され、真実が書かれていないためです。特に、最大の激戦地となり、最大の激戦地となり、多数の犠牲者を出した旅順攻撃については「記述すべからず」と厳禁にされています。
 日露戦争の真実は秘匿され、国民に知らされなかったのです。
           (P266より)

 ボロクソに言われる「日露戦史」、生憎、作家でも名誉教授でもない地方のミリタリーマニア(最近ではそれすらも怪しい)なので充分参考になり、実際のところ、当時これだけのことをよく書き、一般に市販されたなと驚嘆している。それにしても思うのは、この解説者は「日露戦史」に目を通していないか、日露戦争の知識が無いよな。