「エムデンの戦い」R.K.ロックネル 訳者 難波清史
  1994年4月10日発行 朝日ソノラマ

 重油が艦船の燃料となる前、石炭が燃料だったことは誰でも知っている。しかし、戦時において艦艇がどんな石炭(煉炭)を使っていた興味を持つ人間はまずいないであろう。
一般に石炭といえば一括りに語られる事が多いが、実は産地、性状によりまったく違う表情をみせる。例えば、日清戦争中、海軍艦艇は九州の有煙炭を使用し、戦闘用にはまったく不向きな事が判明した。また、日露戦争時には英国のカーヂフ炭を輸入、戦闘時に使用した。石炭が燃料だったころ、艦艇にとって最良の物は英国のカーヂフ炭だった。当時、日本及びアジアにおいてこれを超えるものはなかった(それも圧倒的に)。艦艇において使用される石炭はなるべく煙が出ないことが求められる。これを無煙炭というのだが、日本国内の石炭は一般に生成時期が若いため、揮発成分が多く有煙炭がほとんどを占める。また、国内・アジアの存在する無煙炭にしても灰分(燃えカスになる)が多く、単位当たりの熱量がカーヂフ炭に比べて圧倒的に少ない。国内・アジアの無煙炭は採炭後風化作用が著しく、粉、鱗片、ザラメ状になりボイラーで燃やしにくいが、カーヂフ炭は劣化が少なく塊状のまま残る率が高い。また国内の無煙炭は一般的に硫黄分が多くボイラーを傷めやすいなど、実は石油だけではなく石炭でも日本は大きなハンデを背負っていたのである。
(日露戦争後、徳山で煉炭を作り始めるのだが、最初はカーヂフ炭の粉炭を使い、国産の無煙炭も使っていた。また、東亜で最良の無煙炭と思われる仏印のホンゲイ炭も使ったが、最終的には朝鮮の平壌無煙炭を使用するようになった。しかし、これらの無煙炭で作った練炭でもカーヂフ炭の粉炭で作った練炭より、カロリーで1割以上は違ったと想像している。このカロリーの不足を重油混焼で補ったのではなかろうか)

 ドイツが第一次大戦中、艦艇の燃料として何を使ったのかはほとんど知らない。たまたま、上記の本を読んでいて興味深い事が分かった。
P126
 〈ポントポラス(捕獲船)〉が積んでいたインド炭は、規格外の下質炭であった。おそらくは最初にして最後の経験となるであろうが、無煙炭を扱うようにはいかなかった。ボイラーの火格子は燃え滓が山となり、炉床には膨大な量の灰が落ちた。これまで通りの焚き方を二十四時間したあとには、炉内と煙道が煤と灰に覆われていた。インド炭は、世界で最も良質のカジフ炭に比べれば、同じ仕事をするのに五五パーセント余計に必要であり、青島から運んできた山東炭に比べても、同量で七五パーセントの能力しか発揮できなかった。
P147
 一九一四年九月二十七日
この貨物船はこれまでで最高の収穫であった。イギリス石炭運搬船〈ブレスク〉、四三五〇トンは、最高級のカジフ炭を少なくとも六六〇〇トン積載していた。〈マルコマニア〉が当初積んでいたより一六〇〇トン以上も多い量であった。〈ブレスク〉はイギリス海軍にチャーターされ香港へ向かうところであった。

 さて、ドイツの補給船〈マルコマニア〉は青島から山東炭を積んで、エムデンに同行していたのだが、中国の山東省といってもどこのどんな石炭なのか分からないので、調べてみた。1898年にドイツが膠州湾租借条約によって、膠濟線沿線30支里内の鉱山採掘権を獲得した。1901年徳華煤礦公司を設立し、1911年には淄川、金嶺鎭、それに坊子の諸鉱山の採掘を行なっていたのである。おそらくこれらの炭山からの物だと思われる。この中で艦船向きの品質の良い石炭の性情を書き写す。

坊子東坑
 水分    4.2
 揮発分  14.6
 固定炭素 69・0
 灰分    12.2
 硫黄    0.54
 カロリー 7,534

引用文献
「最新燃料の知識」吉村 萬治
  昭和12年9月13日増訂発行 誠文堂新光社
「支那の鉄・石炭と東亜」手塚 正夫
  昭和18年2月20日発行 朱雀書林