昔見つけた偽装網生産の話である。
昭和15年暮れ、陸軍航空技術研究所(立川)より航空機偽装網試作の依頼を内命に受けた。戦闘機に搭載するため軽量でなければならない。不時着時どこでも張れるものでなければならない。寸秒を争う出勤には、戦闘機は1分、爆撃機は3分以内に撤収することができなければならない等の要求があった。試作に日夜わかたず取り組み、半年余りの労苦の結果、ようやく試作に成功し、昭和16年7月、陸軍航空機用偽装網を初受注した。当社は、この航空機用偽装網を防諜上の必要から「角目網」と名付けた。これは偽装網の網の目が真四角であることから出た名前であった。太平洋戦争突入とともに、17年に第2次、第3次の航空機用偽装網の発注を受けた。17年7月、新地工場が陸軍航空本廠監督工場の指定を受け、この頃からは、陸軍のみならず、海軍からも航空機用偽装網を受注し、さらに他の軍用偽装網(兵員用、鉄帽用、高射砲陣地用、軍用自動車用等々)の注文も相次いで入ってきた。「角目網」の特長としては、布切れを使った点が上げられる(迷彩用)。しかし、この布切れを網地に取り付ける作業が大変であった。ともかく、多くの工程を有するこの偽装網生産には、当社の人員ではとうてい足りず、市内の婦人会、女学校生徒はいうに及ばず接客業婦人をも動員し、学校なども利用しての本格的作業が続けられ、1日動員数は3,000~5,000にも及んだ。
引用文献
「50年の歩み」日本漁網船具株式会社
昭和44年8月17日発行