「RELUCTANT ALLIES」
「GERMAN-JAPANESE NAVAL
RELATIONSIN WORLD WARⅡ」
Hans-Joachim Krug,Yoichi Hirama,
Berthold J.Sander-Nagasima,and Axel Niestele
Naval Institute Press
皆さんご存知なように、日本語にも不自由なプリンス、年に1、2回
読めもしないアチラの本を衝動買いしてしまう。まあ、だいたいボーナ
スが出てチョットは裕福になった時なのだが、この本の広告を「世界の艦船」で見た時、「これは神がプリンスに与えた本だ。例え何が書いてあるのか分らなくても買わなくてはならない。」と思った次第である。
この本は戦前、戦中の日本とドイツの軍事的交流を書いた本らしいの
だが詳しいことは分らない。(だって読めないんだもん)そこで、おそらくこんな面白いことが書いてあるのだろうと創造(想像)したことを紹介してみよう。
①インド洋でUボートや仮装巡洋艦の補給のためフランスのボルドーからはるばるやってきたウッカーマルクなどドイツ油送艦、任務が終了後日本からドイツに帰る時、満州産大豆油を積んで帰る予定になっていたらしい。第二次大戦勃発後、シベリア鉄道を使いドラム缶入りの鯨油と共に満州産大豆油が盛んにドイツに送られていた。シベリア鉄道が使用できなくなり「柳船」が用いられるようになっても大豆油は主要な積荷だった。ドイツも食い物には相当困っていたのか、それとも鉄の焼き入れ、はたまたニトログリセリンの材料など工業的に使ったのだろうか?ただ、はるばるやってきた3隻の油送艦1隻も帰る事が出来なかった。
②シベリア鉄道が使用出来なくなると、「柳船」が用いられるようになるのだが、日本が開戦しシンガポールなどを占領した前後では積荷の内容が変っている。開戦前も後もゴムと食用油(満州産大豆油)の重要性は変らない。開戦前は大豆やラード(豚の脂肪)、乾燥卵、乾燥卵黄などリストアップされているが、開戦後はこれに加えて錫、タングステン精鉱、キニーネ、スパイス(胡椒、シナモン、ナツメグ等)など日本では入手しにくい東南アジアの特産品が積載された。さらに、ちょっと引っ掛る物として、「Canned fish」がある。北洋で獲れ生産された「鮭缶」「蟹缶(たらばがに)」戦前は重要な輸出品として、米国、ヨーロッパに盛んに送られていた。ドイツは貧乏だったのでこのような高級?な食材は余り輸入していなかったが、輸出先がなくなったのでアレやコレやの精密機械や兵器と交換することになったのであろう。
③Uボート、インド洋で活動するにあたり、日本が喉から手が出るほど欲しがっていた資源、バラスト代わりにして運んでくれた。実際ドイツが日本に積み出した量は、日本が訪独潜水艦で運んだ量とは比べものにならないほど多いのだが、半分以上がその航程の途中で失われた。
日本が入手した資源は
1、水銀 396トン
2、鉛 383トン
3、アルミニウム 63トン
4、ガラス 12トン
5、特殊鋼 14トン
なぜアルミニウムを運んできたのか?もっと必要性の高い、日本では採れない、作れない物がたくさんあるはずなのに私には理解しかねる。
(そういえば、カリブ海に日本向けの水銀を載せたUボートが沈んでいるのを発見した新聞記事を見たような気がする。)
④前に戦時中、ドイツでは天然ゴムが不足していたと書いたが、1943年12月26日、ボルドーに到着した最後の「柳船」オゾルノ(Osorno)がもたらした天然ゴム、1944年11月までドイツの必要量を満たしたらしい。
「柳船」が4万トン弱、Uボート172トン、訪独潜水艦?これらの数
字からすると、さすがドイツは「化学の国」である。
これ以上は読めないので、だれか札幌市内にお住まいの方、私の代りに訳してください。お貸しいたします。それにしても、頭の悪いのには困ったものである。