「 戦下のレシピ
太平洋戦争下の食を知る」 岩波アクティブ文庫
斎藤美奈子 2002年8月9日発行
某質問コーナーに出ていた「ミリタリー趣味を極める」私にはまったく関係のない言葉であり、はっきり言って余りに意表を突いた発言だったので、椅子から滑り落ち未だに立ち直れません。この夏出版されたミリタリー関連の書籍の中では、もっとも優れているとプリンスが想う上記の本、こだわりのある方なら目を通されていることでしょう。この本、文芸評論家と紹介されている著者の方がお書きになっているのですが、一部言葉足らずの所があったり、時代背景や食品、農業に対する理解が充分でない為、なんとな~くしっくりいかない所もあります。これはあくまでも私だけのこだわりであり、この本の価値をいささかも減ずる物ではありません。これから私が書く事は実に些細な事で、単なる揚げ足取りになってしまったらゴメンナサイ。
戦時中、代用食の中で「うどん(乾麺)」や「すいとん」が多用されていた事はこの本からよく分ります。また「パン」にしても重曹などの化学的膨張剤を使用した「蒸しパン」と言われる物がよく食べられました。これはとうもろこし、大豆などの雑穀、豆類を粉にして利用出来る事と、国産および日本支配下で採れる「小麦」から作った「小麦粉」が現在、一般的に食べられているパン作りに不向きだからです。小麦粉は蛋白質(グルテン)含量により次ぎの3種類に分類されます。蛋白含量が多ければ多い程、水で捏ねた時の粘り(ひき)が出て、パンの製造には適します。
1、薄力粉
2、中力粉
3、強力粉
薄力粉はクッキーやスポンジケーキ、中力粉はうどん、強力粉はパンなどに使用されます。当時、日本での小麦は中力粉つまりうどん用の物であり、日本産の小麦で現在食べられているようなパンを作ってもパンの形にはなりません。現代の主要小麦生産地(当時においても)米国、豪州などを見れば分るとおり、強力粉を作る小麦は日本などの湿潤な気候では、その生産にはまったく向いていなかったのです。(今でもパンに向いた国産小麦は作りにくい事に変りがありません。)また、一部の読者なら絶対に考える「スパゲッティを食べればいいじゃないか。」これまた、日本にはまったく産しない小麦の種類から作られた物なのです。なかなか小麦粉の世界も奥が深いのです。
戦前、戦中日本はお米を海外から輸入したのですが、この著者の方はその輸入先を「タイ」と「インド」と盛んに仰っています。これは単純な間違いで「インド」ではなく「インドシナ(印度支那、仏印)」現在のベトナムの事です。インドは当時米の輸入国で戦前は同じ英国支配下にあったビルマから米の輸入をしていました。ビルマが日本に占領された為、インドの一部地域では米不足の上、英国の無為無策により多くの餓死者を生じました。また、インドシナでも戦争末期、日本軍の激しい収奪により米不足になり、現地住民に餓死者が生じました。