世に先生と言われる人から「大和の話をしてあげよう。」との有り難いお言葉に「いらない」と答える北海道人、本当に困ったものである。
似非(えせ)艦船ファンであるプリンス、最近、「日本支配下地域における独逸油槽船の活動」なんてまた、およそ人の興味を持たない物を知りたくなってしまった。ざっと数えてもおそらく10隻に満たない船しか活動していないと思われるのだが、妙な船に引き込まれてしまった。
オレ・ヤコブ Ale Jacob総トン数8306トン(日本で言えば大きさからすると日本タンカーの宝洋丸位)元々はノルウェー船籍のタンカーであるのだが、詳しい船歴は知らない。(誰か教えて下さい。)
このオレ・ヤコブは1940年11月9日インド洋上で、独逸の仮装巡洋艦アトランティス(Atlantis)に捕獲された。シンガポールからスリランカのコロンボに航空燃料(日本側の資料ではベンジン油となっている)1万1478トンを輸送の途中だった。アトランティスはオレ・ヤコブの他に11月11日捕獲した船舶(テディ 総トン数6748トン、ノルウェー船)の乗員と次ぎに捕獲撃沈したオートメダンから押収した商船隊暗号表、暗号翻訳表、大量の秘密文書(最高の秘密に属するイギリス司令長官宛、極東艦隊司令長官宛の物、艦隊に対する新暗号表、商船隊に対する注意事項、機雷原および新たに掃海された水路、地図および海図、イギリス諜報機関の報告書、戦時内閣の秘密な予測事項を記したもので、これは極東に対する防衛計画の包括的考察、シンガポール防衛に対する指示および日本の陸・海・空軍の動向を記したもの)の中の何れかを載せ11月16日日本の神戸に向かわせた。
12月4日神戸港に入港したが、イギリス側の早速知るところになり、捕虜を降ろし(回航指揮官は後にシベリア鉄道経由で独逸本国に帰還、このとき機密文書の一部は日本側に渡された模様。捕虜も解放され長崎経由香港行きの者とシベリア鉄道で本国に帰国した者に分かれた。)たった1日の停泊中に、独逸船ムンスターランド(Munnsterland 総トン数6408トン 1922建造 1942年2月18日神戸発8192トンの物資を持って5月17日、独逸占領下のフランス、ボルドーに到着)より燃料重油100トンと飲料水60トン(六甲の水?)受け取りすぐに出港した。
積荷の航空燃料は、南洋群島の何処かで日本のタンカーに渡され、その代わり独逸海軍は1万1000トンの燃料油を日本で受けとった。(航空燃料移し変えの時に、燃料油や補給品を受け取ったかはわからない。)その後、仮装巡洋艦オリオン(Orion)の補給船として活動した。その途中には南洋群島のある島でイギリス側に無線を傍受され、小笠原諸島の無人島に逃げ込み、またムンスターランドから補給を受けたらしい。
そして活動を終え、1941年7月19日、ボルドーに入港した。その後のオレ・ヤコブの生涯については何も知らない。
上記の話でプリンスは2つの事が気になっている。
1つめは、オレ・ヤコブが積んでいた航空燃料のオクタン価である。出発地がシンガポールである点からも、おそらくパレンバン(ひょっとするとバリックパパン)で精製された物で、100オクタンであった可能性も高い。バトル・オブ・ブリテン、勝因の1つがアメリカからの100オクタン航空燃料の供給と言われているが、これは実は南方(後に日本が手に入れる精製施設)で作られていた可能性がかなり高いのでのである。この時期、100オクタン、1万1000トンといえばかなり贅沢な話である。
2つめは、オレ・ヤコブが日本から戦略物資を独逸に還送しているかである。オレ・ヤコブ自体も日本から出港した補給船から何度も補給を受けているので、これらの物資を移載されたのではないか?また、捕獲した船舶から重要な物資(ゴムなど)を移載されているのではないか?ただ、捕虜だけを連れ帰る為に、独逸へ向かったとは考えられないのである。しかし、オレ・ヤコブは柳船のリストの中には名前がない。
引用・参考文献
「海の狩人・アトランティス」昭和63年3月25日発行
ウォルフガンク・フランク ベルンハルト・ローゲ
訳者 杉野 茂 朝日ソノラマ
「ポケット戦艦」 昭和55年12月31日発行
T・クランケ H・J・ブレネケ
訳者 伊藤 哲 ハヤカワ文庫
「ラプラタ沖海戦」 昭和60年1月31日発行
酒井 三千生 出版協同社
「日本・油槽船列伝」平成7年1月18日発行
松井 邦夫 成山堂書店 これはいい本です。
「Die Deutsche Kriegsmarine 1935-1945 Band 2」
Siegfried Breyer
例の解読不能の本
アジア歴史資料センター内
ドイツ艦オレヤコブ号/1.昭和15年12月9日から昭和16年
1月15日(第二次欧州大戦関係一件/各国艦船及軍用機動静)
ドイツ艦オレヤコブ号/2.昭和15年12月7日から昭和16年
1月13日(第二次欧州大戦関係一件/各国艦船及軍用機動静)
ドイツ艦(船名不詳)(第二次欧州大戦関係/各国艦船及軍用機
動静)