セレン selenium
 セレニウムともいう。周期表第ⅥB族に属する酸素族元素の一つ。単体で産出することはほとんどなく、銅、銀、金の硫化物鉱石中にセレン化合物として微量(数ppm~数十ppm)含まれ、これら金属製錬の副産物として得られる。日本では銅製錬の際の副産物として回収される。
 ガラス工業での脱色剤(ガラスに鉄の酸化物が入ると緑色になるが、ごく少量のセレンを加えると脱色効果がある。)着色剤(カドミウムとともにガラスに加えるとカドミウムレッドといわれる鮮やかな赤色ガラスが得られ、信号灯、表示灯などに用いられる。)として広く用いられるほか、顔料、薬品、触媒、ゴム硬化剤、マグネシウム合金防食用に用いられる。

ドイツ降伏時、神戸で日本側に接収されたドイツ潜水艦UIT24(旧イタリア艦 コマンダンテ・カペリーニ ComandanteCaperllini)、UIT25(旧イタリア艦 ルイージ・トレリ Luigi Torelli)の二隻、神戸で整備の後、日本や東南アジアの貴重な軍需物資をドイツに還送する予定だった。
 アジア歴史資料センターで見られる
  「在本邦独側保管物資表(昭和二〇年四月三十日現在)」
に、ドイツ艦二隻に搭載されていた軍需物資の一覧と数量が書かれてある。二隻の名前は防諜上か、×号、××号と表記されている。数量は二、三、五の判別が、し難くよくわからないが、更にシンガポール、バタヴィア等で搭載される物もあるので少なめであろう。取り合えず、搭載軍需物資一覧を書いてみる。
  ×号
   ゴム
   タングステン鉱(袋入り)
   タングステン鉱(錫箱入り) 
   錫(インゴット)
  ××号
   水晶(箱入り)
   モリブテン鉱(箱入り)
   セレニューム(箱入り)
とある。だいたい逆柳船に搭載されたお馴染みのものである。ただし、水晶とセレニュームは今回初めて見た。水晶についてはまったく知らないが、セレニュームは日本の銅製錬各社の社史でよく目にしていたので、実際びっくりした。
セレニューム、レアメタルとしては当時珍しく、生産が使用量に充足されていた。日本国内の生産量は昭和14年で23トンぐらいであった。ドイツでの生産量、使用量など知る由もないが、やはり足りなかったので、危険を冒しても持ち帰ろうとしていたのであろう。
 当時の日本でのセレニューム生産を見てみると、各銅製錬会社の社史には、詳しくは書かれていない。しかし、感じとしては大手銅製錬所では、ほとんど生産されていたと思われる。住友金属の新居浜製錬所では昭和14年に約10トンの生産。石原産業の四日市工場で昭和19年で929kgの生産。日本鉱業では大正8年、セレニュームの国産に先鞭をつけた日立製錬所において、昭和11年1月、酸化バイ焼設備が完成して回収率に格段の向上を示し、佐賀関製錬所では昭和7年6月にその回収を開始した。(ちなみに住友金属新居浜製錬所での電気銅生産は昭和19年2万1600トン、石原産業の四日市工場で5600トン、日本鉱業の日立製錬所で1万5600トン、佐賀関製錬所は1万5800トンであり、日本全体の電気銅生産はこの年11万1200トンであった。セレニュームは電気銅の生産にほぼ比例して生産されるので、全体の生産量は想像してもらいたい。ただ、満州、朝鮮での生産の有無がわからない。オット忘れていた。金属回収令により集められた故銅(梵鐘、銅貨、二宮金次郎、靖国神社の銅屋根etc)などからも電気銅は作られていたので、その辺は割り引いてほしい。)

引用・参考文献
 「世界大百科事典」等

 「世界の艦船 増刊第37集 日本潜水艦史」
  平成5年8月15日 海人社
  
 「世界の艦船 増刊第52集 ナチスUボート」
  平成11年7月15日 海人社

 「電気ガラスの歩み」電気硝子工業会
  昭和45年11月10日発行

 「日本の天然資源」訳者 経済安定本部資源調査会
  昭和26年2月20日発行 時事通信社

 「住友別子鉱山史」住友金属鉱山株式会社
  平成3年5月9日発行

 「創業三十五年を回顧して」石原産業株式会社
  昭和31年10月1日発行

 「五十年史」 日本鉱業株式会社
  昭和32年11月6日発行

 「創業100年史」古河鉱業株式会社
  昭和51年3月31日発行

 最近、とある質問コーナーで、高校生とおぼしき質問者が、質問文に句読点を付けないので集中攻撃を受けている。プリンスも年のせいかボケて、どこに「、」を付けていいのか、しばしば考え込むようになってしまっている。相変わらず誤字、脱字も多いし、皆さんの迷惑になってはいけないので、アノ質問コーナーでは質問するのも解答するのも、自粛しようかと考えている。