たまに本の整理をすると、捜していた本が目の前にあったりする。
前回書いたセレニューム、大事な話が見つかった。
書かれた方は日本鉱業の 元取締役 木俣泰清氏である。
大正二年京大を出て直ぐに日立の電錬係に勤めた。さて現場に配属
されても責任ある一定の仕事は与えらられず、勝手に仕事を見付ける
様な仕組になっていった。現行操業を一と通り見覚えると待遇の手前
上遊んでも居られず、自ら工夫して操業法を改良するとか新な仕事を
計画するとかして各自の能力に応じて責任を果たさなければならん雰
囲気になっていた。1日、見張内(現場事務所)で空想に耽っている
とフト目の前の南蛮炉(分銀炉の滓を処理する炉)から出る目まいの
する様な一種特有の臭の煉瓦色の排煙を見た。学生時代に取り扱った
セレンを想い出した。現在は珍しくないが当時セレンを知っている人
は殆どない。南蛮炉排煙からヒントを得た動機は私共の出た金相教室
では卒業論文に今迄発表されていない合金の状態図を製作する例にな
っていた。セレン、テルル等珍しい元素を相手にした。二元合金を作
った。両方共稀有元素で内地産はなく高価な舶来品であるから実験後
夫々元の成分に分解回収する迄が、学生の仕事である。こんな関係で
セレン、テルルには格別の親しみがあった。南蛮炉の排煙にセレンが
混じってるらしいので遡って調べたら、炉の裏に煉瓦色の湿った泥が
沢山堆積してあった。硫化セレンは吸湿性で還元すると赤色のセレン
になることを知っていたから之を原料にしてセレンの回収を試み、予
想通り数キロの金属セレンを採収した。始めての生産記念として京大
化学教室へ若干寄贈した。之が日本産セレンのNO1である。Seを
英語ではセレニューム、独乙ではゼーレンと云う。日立では中間を取
てセレンとした。今日でもセレンで通用している。
セレンの源泉を調べたら銅電解スライムに多量あり、更に鉱石に遡
つて調べたら殆んど総ての硫化鉱石に微量ながら含まれてることが判
つた。
セレンの価格は当時工業用はなく標本用価格表には結晶純セレニュ
ーム一瓦金四円(金一匁五円)、金より遙に高価な貴金属であった。
実際取引はない。用途はガラス添加剤(青味を消すために使う)赤色
ガラス製造、ホーロー顔料火赤の製造程度でまだ光電管、整流器等の
用途はなく、用途開拓販路拡張に相当苦労した。結局需要なく屋已む
なく見本程度で一時生産中止した。
其の後整流器方面の需要が起り、石塚氏並に寺崎氏時代に両氏の努
力でスライムから直接本格的に採収を始め品質優良な品が出来、今日
重要副産物の一つとなった。
「回顧録(創業五十周年記念社報特別号)」日本鉱業株式会社
昭和三十一年三月一日発行
内「新入社員と副産物」木俣泰清氏より抜粋