今年は日露戦争開戦100年をむかえ、さぞや面白い日露戦争話が出版されることだろう。時流に乗り遅れ田舎者と馬鹿にされるのが口惜しいため、今日も図書館に行って来た。今日見た現物資料は日露講和条約調印後、現地の将兵に部隊長が布告したものの断片のようだ。和紙に書かれ(印刷?)、裏面にはなぜか法名(戒名?)の下書きが墨書されている。
  
  雑用ニ供スヘキトキト雖モ土民ノ洗濯ハ禁スル事

三、飲食物ハ漬物ノ外煮享シタルモノ口ニ触ル食器類ハ毎食前ニ熱湯ヲ以テ○○スル事

四、防蝿ニ注意シ飲食物ニハ必ス附着セシメサル(伝染病アルトキ蝿ノ飲食物ニ附着スルハ最モ危険トス)

五、便所ニハ木灰ヲ準備シ置キ上間ノ都度少量宛投入シ消毒○ニ不潔物ニ蝿ノ附着スルヲ防リヘキ事

以上ハ其大要ニシテ各自衛生ノ最モ必要ニシテ待チニ待チタル父母兄弟姉妹妻子ニ再ヒ面会スルノ幸福ト親族朋友ニ対シ戦話ヲナスノ光栄名誉ヲ完○センコトヲ切望ニ堪エカルナリ輸送開始モ遠キニ非ルヘシ衛生ノ点ニハ深ク注意ヲ要ス

 明治三十八年十月 日
  後備歩兵第廿五連隊第二大隊長 平野勝明
                        (○は解読不能)

 旅順におけるロシア軍を悩ました壊血病、日本軍も充分罹患する要素があったが、現地調達した白菜などが日本軍を救った。(緑茶も役にたった。)これらの野菜は生や漬物で食べられることが多かったようだ。だからこそ伝染病が多く発生したのだろう。ところで、当時の野菜、肥料として下肥(人糞)を与えられていた。ということは日本軍将兵のお腹の中には寄生虫がたくさんいただろうなあ。
 旅順戦の戦死者の多さは多く語られるが、脚気や伝染病による戦病死者の多さをミリタリー趣味を持つ者は避けて通る。日中戦争でも太平洋戦争でも膨大な戦病死者を出しているのにやっぱり避ける。大戦中の最優秀戦闘機P-51が倒した日本軍将兵よりマラリアが倒した日本軍将兵の方が問題にならない位多いのに。