一時の気の迷いから「グランドパワー、2004、4 日本軍中戦車(1)」を購入する。特集は九七式中戦車だが、当然サブテーマのRSO(東部戦線装軌式牽引車)の方がカッコイイ。本誌の硫黄島の九七式中戦車を見て並行して読んでいた
「商船が語る太平洋戦争=商船三井戦時戦史=」野間 恒 平成11年5月1日発行
の記事を思い出す。
大慈丸 2D-2型戦時標準船、第26戦車連隊の戦車28台、弾薬80トン、セメント960トン、石炭420トン、便乗者644名を乗せ父島へ向かっていたところ、昭和19年7月13日、米潜コビアCobia(SS―245)の雷撃を受け撃沈
とあった。2D型に戦車が28台も乗るのかと疑問に思った上、乗せた戦車の内容が知りたくて
「戦時輸送船団史」駒宮 真七郎
「戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉」防衛庁防衛研修所戦史室
を開く。
輸送船団史には昭和19年7月10日横須賀を出港した、日秀丸、大誠丸、利根川丸、大慈丸、栄口丸、第4東海丸の船団から12日、日秀丸、大誠丸、利根川丸が分離し、硫黄島に向かい、3隻は14日無事到着し、揚陸作業を済ませ15日父島に帰ったとある。また、14日館山を出港した日秀丸、八祥丸、桂川丸、第10雲海丸は硫黄島に向かい、18日、戦車部隊、臼砲部隊、高射砲部隊、機関銃中隊を乗せた日秀丸(7785総トン、日産汽船所属)は被雷撃沈とある。
戦史叢書では7月10日、横浜を出港したが、同日輸送船日秀丸(独立混成第十七連隊、戦車第二十六連隊、独立臼砲第二十大隊の各主力乗船)は故障の為横浜に引き返し、14日横浜を再出港したが、18日敵潜水艦の雷撃を受けて轟沈、戦車二十八両を失い、生存者は父島に上陸、戦車第二十六連隊は父島で部隊の再建に努め、8月には補充用戦車受領のため一部人員を内地に派遣したが部隊主力は8月30日までに硫黄島に進出したとある。
まあとにかく戦車は沈んでしまった。
硫黄島で最終的に戦った第二十六連隊の戦車は中戦車11両、軽戦車12両の計23両、九七式中戦車の内、47粍を何両載せていたんだろう。それに戦車より47粍速射砲や迫撃砲、何よりも弾薬を送った方が良かったような気がするが、所詮素人の後知恵か。
ところで日秀丸を沈めたのは米潜コビアCobia(SS―245)
「U.S.SUBMARINE ATTACKS DURING WORLD WARⅡ」 John D.Alden によれば18日に硫黄島行きの第10雲海丸(851総トン、中村汽船所属)も沈めているという困ったヤツだ。