挫折したシリーズ「タングステンと大日本帝国〈中国・朝鮮編〉」あまりにもテーマがデカすぎた。趣味では書けません。そこで今回は独逸とソ連と中国のタングステンの関係を少し書いてみた。
独逸もソ連も戦時中「硬芯徹甲弾」(タングステン合金製)を対戦車用に使っていた。この原料タングステンは世界のどこにでもあるものではなく、偏在していた。当時も今も中国が最大の産出国である。
独逸でも年産数十トンのタングステン(三酸化タングステン)産出はあったらしい。戦前は世界各地からタングステンを購入した上、戦時用に備蓄していた。中国(1937年タングステン鉱〈三酸化タングステン60%含有〉4315トン輸入)、ビルマ(1939年タングステン鉱100トン輸入)、仏印、マライ(1936年タングステン鉱25トン輸入)、アルゼンチン、ボリビア、ポルトガル、南阿、豪州、エジプトなど世界の主要生産国から輸入していた。中国が入手した一号戦車や37粍Pakの代金もタングステン、アンチモニーに化けて独逸に渡った。第二次大戦開戦後は独ソ開戦まではシベリア鉄道で中国から(中国のブラックマーケットからも入手、中国の主要タングステン産地はそのほとんどが重慶政権支配下かグレーな地域にあった。)その後は海上封鎖突破船(柳船)、日独潜水艦、そしてポルトガル(1938年、タングステン鉱〈三酸化タングステン60%含有〉2812トン生産)、スペイン(1938年、タングステン鉱〈三酸化タングステン60%含有〉500トン生産)、スウェーデン(1937年、タングステン鉱〈三酸化タングステン60%含有〉127トン生産)から入手していたらしいが、なんせ中立国な上、連合国の目もあるので当然全量は売ってくれない。
ソ連のタングステン生産、輸入はプリンスの前では依然鉄のカーテンに隠されている。ソ連のタングステン鉱床としてブリヤート蒙古のヂチンスキー、東部ザバイカル地方、南部ウラル(グムベイス)、東部カザクスタンなどがあるらしいが、生産量はさほどのこともなく、必要量は満たせなかった。
「ソ連邦はあらゆる鉱物資源に恵まれ、自給自足の域に達しているがアンチモニー及びタングステンだけは未だ其の域に達せず現在戦略的意義から是等の物資は主として支那から其の供給を受け年々増加の傾向にある。」
ソ連邦のタングステン鉱輸入
1935年 1936年 1937年(1-9月)
ソ連邦の総輸入 1056トン 1523トン 2115トン
内支那より 739トン 1339トン 1675トン
支那の割合 69.9% 87.5% 79.1%
戦時中、ソ連は中国、連合国からタングステン鉱、製品の供給を受けていたが、其の数量は知らない。
参考・引用文献
「ソヴィエトの重工業」小島精一
昭和12年11月16日発行 千倉書房
『「支那資源及産業総覧」資源篇』 翻訳者 藤枝丈夫
昭和15年8月15日発行 支那文化協会
「大東亜の特殊資源」編者 佐藤弘
昭和18年9月1日発行 大東亜出版株式会社
「日露年鑑〈昭和十七年度〉」
昭和17年11月15日 欧亜通信社
「鉱物資源百科辞典」 牧野和孝
1998年2月26日発行 日刊工業新聞社