なんとなく日を過ごしているうちに就職先が無い事に気づき愕然としている今日この頃です。妻子にも見放され、今日二人はショッピングに出かけました。さて、昔「大日本帝国とタングステン」などを書き散らしながら、挫折したのですが、今日は野放し状態なので続きを写経いたします。

 認められる事は少ないが、その資源で日本の戦時体制に大きく寄与した旧植民地朝鮮、タングステンは日本本土より多く産出した。その産出鉱山の全容はよく分からないが、重要な鉱山の概要は下記の通りである。

①箕州(きしゅう)鉱山 朝鮮黄海道谷山郡伊寧面
 この鉱山は金、銀、重石を産出したが重石を主体とし、戦前日本支配下では最大のタングステン鉱山だった。昭和9年頃から日本鉱業が採掘を始め、昭和9年上期から20年上期の採掘鉱量は9,556トン、品位WO₃69.1%で最大生産時たる昭和18年には年間1931トンの生産を見た。

②大楡洞(たいゆどう)鉱山 朝鮮平安北道昌城郡東倉面
この鉱山は金、銀、銅、鉛、重石、水鉛、黒鉛を産出したが主体は金、銀だった。昭和
11年より日本鉱業が買収、稼行を始めた。昭和20年6月までの採掘量は品位WO₃62.4%587トンだった。

③雲山(うんざん)鉱山 朝鮮平安北道雲山郡北鎮邑
 この鉱山は金、銀を主体としたものだったが蛍石、黒鉛、硫化鉄まども産出する。昭和14年日本鉱業が買収、稼行を始めた。昭和20年6月までの採掘量は品位WO₃54.5%73トンだった。

④鎮南浦(ちんなんぽ)製錬所 朝鮮平安南道鎮南浦府大頭里
 この製錬所は大正4年5月朝鮮における社有各山の生産鉱石並びに社外買鉱収集鉱石をあわせて精錬するために、作られたものである。なお、昭和10年11月より佐賀関製錬所ではフェロタングステンが生産されていた。鎮南浦では箕州鉱石により昭和19年3月から終戦までフェロタングステンを累計452トン生産した。

引用文献
「日本鉱業株式会社 五十年史」
  昭和32年10月31日発行