今、市中で話題の本を妻に買っていただく
『歴史群像シリーズ 太平洋戦争③「南方資源」と蘭印作戦』
最近日露戦役と求職活動にのめり込んでいるので、こんな趣味を忘れていた。内容はアレダ。雑誌に資源問題を書くことに意義があるのであり、これらの検証は、やっと第1歩を踏み出したと理解するべきだろう。考えてみれば、姫も重箱の隅を突くような事をここに書き散らしており、世間様に認知されることも一切なかったわけだが、これからは、少しは皆さんに相手にしていただけるのではと期待する。(細かいことだけど、蘭印の鉄鉱石は、大戦中の日本の資源問題にはなんら関係しません。)
ところで、上記の本を読み終わったら、第二次世界大戦の航空燃料(米独日)に関する最良の参考書
「ガソリンの時代」熊崎 照
2001年8月16日発行 ㈱オイル・リポート社
を思い出し、読みなおす。・・・あった・・・
「トルエンをつくる」で幾ら巨大な製鉄量を誇っていても、アメリカはどうやって必要量のトルエンを入手していたんだろうと悩んでいた答えが。
ハイドロフォーミング
ハイドロフォーミングの主な反応は、触媒の存在下、脱水素反応による芳香族炭化水素の合成である。通常触媒は酸化モリブテン・アルミナである。トルエンに適した原料は1939年になって初めて発見された。トルエンと航空ガソリンの混合材のためには主として狭いカットの原料(なるべくC・7またはC・7-8の沸点溜分)で運転する必要があった。
第二次世界大戦前と戦中、8基のハイドロフォーミング装置が硝化級トルエンと航空ガソリン混合材をつくるため建設された。これらの装置の一つは軍のTNTに行くトルエンの半分以上を単独で製造した。トルエンの国内生産は1939年石炭からの9万4,633klであったが、1944年には78万7,355klを生産し、そのうち81%以上の63万9,721klは石油から製造された。(P344.345.346より抜粋)