去年、軽井沢に出稼ぎに行った時、小諸の古本屋で買い求めた本を思い出し、開いてみる。

 「日露戦役 御旗之光 第一師団管健兒部隊實戰記」
  明治40年9月2日発行 大日本奉公會編輯部

 これに歩兵第十五連隊の記述もあったので旅順攻囲戦までの損害を書き写す。

金州南山(5月26日・27日)
 戦死   将校       1
      下士卒     37
 戦傷   将校       4
      下士卒    250
 戦死傷合計       292

双臺溝(5月28日) 
 戦死   下士卒      1
 戦傷   将校       3
      下士卒     44
 戦死傷合計        48

高崎山(8月13日・14日・15日)
 戦死   将校       5
      下士卒    177
 戦傷   将校・准士官  16
      下士卒    375
 戦死傷合計       561?(563)

第二回総攻撃 二〇三高地
 戦死   将校      15
      下士卒    114
 戦傷   将校      23
      下士卒    628
 行方不明 将校       1
      下士卒    124
(戦死傷行方不明合計)  885
(残存戦闘可能兵員 将校5下士卒86)

第三回総攻撃 白襷隊・二〇三高地・赤坂山
 戦死   将校       4
      下士卒     65
 戦傷   将校      17
      下士卒    335
 行方不明 下士卒    132
 戦死傷行方不明合計   553

歩兵第一連隊の記述に脚気に関する興味深い記述があったので書き写す。
これは旅順攻撃前の待機期間中の事である。

 7月30日泥河子占領後、我が連隊は各部署を定め防御工事を施し敵と対峙すること約半ヵ月、此地方飲料水は不足なかりしが燃料少き為生木を伐採し、或は民家を買収するの困難に遭遇し、又脚気下痢症患者の発生せる事夥しく、日々新患者各大隊に二十名内外旧患者五六十名を生じ、敵以外に大恐惶を来せり 

 第三軍が炊爨の為の燃料に不足していたことは、当時の写真を見れば想像がつく。それにより、やっと配給された生の肉、魚、野菜の調理を妨げ、さらに栄養を偏らせたのである。第三軍傘下の緒部隊が同じ状況に置かれているのであるから、その問題の大きさと共に書かざるを得なかった気持ちが理解できる。なお、自分が所有している本が第六版であり、当時としても多くの読者に脚気惨害の状況が日露戦争終了直後にも知らされていたのである。