あると分かっていてもなかなか手が出せない物がある。今週には妻が帰ってくるので思い出作りに行った。
「明治卅七八年日露戰史 第五巻 第六巻」参謀本部編纂
大正二年七月二十日発行
を眺め、半ば溜息をつく。な~んだ附録に連隊どころか大隊までの戦死傷者数が書かれてあるんだ。さて、黄金の日々も終わるので、旅順攻囲戦の後備歩兵第四旅団の損害を書き写す。なお、後備第八連隊は大阪、後備第九連隊は京都、後備第三十八連隊は大津を衛戍地とした。
●(明治37年7月31日~8月17日)
後備歩兵第八連隊第一大隊
戦死 下士卒 1
戦傷 将校 1
下士卒 3
戦死傷合計 将校 1
下士卒 4
総合計 5
●(明治37年8月19日~8月24日)
旅団司令部
戦死 将校 1
戦傷 将校 1
下士卒 1
戦傷合計 2
総合計 3
後備歩兵第八連隊連隊本部
戦傷 将校 1
後備歩兵第八連隊第一大隊
戦死 将校 6
下士卒 86
戦傷 将校 14
下士卒 348
戦死合計 92
戦傷合計 362
総合計 454
後備歩兵第八連隊第二大隊
戦死 将校 7
下士卒 75
戦傷 将校 9
下士卒 398
戦死合計 82
戦傷合計 403
総合計 485
後備歩兵第八連隊
戦死合計 将校 13
下士卒 161
戦傷合計 将校 25
下士卒 742
戦死合計 174
戦傷合計 769
総合計 941
後備歩兵第九連隊連隊本部
戦死 将校 1
戦傷 将校 1
後備歩兵第九連隊第一大隊
戦死 将校 10
下士卒 56
戦傷 将校 10
下士卒 379
戦死合計 66
戦傷合計 389
総合計 455
後備歩兵第九連隊第二大隊
戦死 将校 10
下士卒 406
戦傷 将校 12
下士卒 355
戦死合計 416
戦傷合計 367
総合計 783
後備歩兵第九連隊
戦死合計 将校 21
下士卒 462
戦傷合計 将校 23
下士卒 734
戦死合計 483
戦傷合計 757
総合計 1240
後備歩兵第三十八連隊第二大隊
戦死 下士卒 41
戦傷 将校 5
下士卒 84
戦死合計 41
戦傷合計 89
総合計 130
後備歩兵第四旅団
戦死合計 将校 35
下士卒 664
戦傷合計 将校 54
下士卒 1561
戦死合計 699
戦傷合計 1615
総合計 2314
●(明治37年10月26日~31日)
後備歩兵第八連隊第一大隊
戦傷 下士卒 2
後備歩兵第八連隊第二大隊
戦死 下士卒 2
戦傷 下士卒 24
戦死合計 2
戦傷合計 24
総合計 26
後備歩兵第八連隊
戦死合計 下士卒 2
戦傷合計 下士卒 26
戦死合計 2
戦傷合計 26
総合計 28
後備歩兵第三十八連隊第一大隊
戦傷 下士卒 1
第二機関砲第五小隊
戦死 下士卒 4
後備歩兵第四旅団
戦死合計 下士卒 6
戦傷合計 下士卒 27
戦死合計 6
戦傷合計 27
総合計 33
●(明治37年11月1日~25日)
後備歩兵第八連隊第二大隊
戦傷 将校 1
下士卒 3
戦傷合計 4
総合計 4
後備歩兵第三十八連隊第一大隊
戦死 下士卒 3
戦傷 下士卒 4
戦死合計 3
戦傷合計 4
総合計 7
後備歩兵第四旅団
戦死合計 下士卒 3
戦傷合計 将校 1
下士卒 7
戦死合計 3
戦傷合計 8
総合計 11
●(明治37年11月26日~12月6日)
後備歩兵第八連隊第二大隊
戦死 下士卒 2
戦傷 下士卒 4
総合計 6
後備歩兵第三十八連隊第一大隊
戦死 下士卒 1
戦傷 下士卒 4
総合計 5
後備歩兵第三十八連隊第二大隊
戦死 将校 2
下士卒 83
戦傷 将校 10
下士卒 194
戦死合計 85
戦傷合計 204
総合計 289
後備歩兵第三十八連隊
戦死 将校 2
下士卒 84
戦傷 将校 10
下士卒 198
戦死合計 86
戦傷合計 208
総合計 294
後備歩兵第四旅団
戦死合計 将校 2
下士卒 86
戦傷合計 将校 10
下士卒 202
戦死合計 88
戦傷合計 212
総合計 300
●(明治37年12月18日)
後備歩兵第三十八連隊第二大隊
戦死 将校 2
下士卒 56
戦傷 将校 3
下士卒 168
戦死合計 68
戦傷合計 171
総合計 229
●(明治37年12月28日~明治38年1月2日)
後備歩兵第八連隊第一大隊
戦死 下士卒 5
戦傷 下士卒 11
総合計 16
後備歩兵第九連隊第一大隊
戦死 下士卒 5
戦傷 将校 1
下士卒 17
戦傷合計 18
総合計 23
後備歩兵第四旅団
戦死合計 下士卒 10
戦傷合計 将校 1
下士卒 28
戦傷合計 29
総合計 39
●(明治37年6月6日~明治38年1月2日
後備歩兵第四旅団
戦死合計 将校 38
下士卒 822
戦傷合計 将校 71
下士卒 1996
戦死合計 860
戦傷合計 2067
総合計 2927
「三十七年日露戦役ノ起ルヤ充員召集ニ応ジ、後備歩兵第八連隊ニ入隊シ、出征シテ清国遼東半島ニ上陸シ、旅順攻囲軍ニ属セシガ、八月二十二日盤龍山攻撃ノ際、望代方面ノ敵ニ対し勇敢ニ闘ヒ、遂ニ其ノ陣地ニ突入シ、生死不明トナリシガ、其ノ後戦死ト認定セラレタリ」
弱兵と言われた関西人もまた日露戦争では十分以上に働いているのである。
(なお、後備歩兵第三十八連隊の日露戦役での戦病死者数は全部で575名との記録がある。)
引用・参考文献
「滋賀県史(第四巻)」 滋賀県
昭和四十六年十二月二十四日発行
「京都府誌 下巻」 京都府
大正四年十月二十二日発行
「日露戦役 忠勇列伝 大阪府第三号」忠勇顯彰会
大正三年九月二十八日発行