月に一編も書けない日記なんて、この世に存在していいわけがない。でも書けないモノはしょうがない。すべては私が悪い。会社が悪い。

 大戦中の日本航空燃料話において、「南方の原油は高オクタンの燃料を作るには適していない。」とか「南方の原油は高含蝋なのでハイオクタンの燃料を作るには向いていない」などと聞いたことがあると思う。私もサモ知っているかのように語っていたが、実は、化学的にも、技術的にも裏を取っていたのではない。
 世の中に出まわっている本の中でも、これらの記述が見られるが、本当に理解して書いていた人物がいたとは、とても思えない。書くからにはチョットは調べたほうがいいのである。(銭を取るからにはある程度の真実があったほうがいい。私はお金を取っていないので、嘘を書いてもかまわない)

 「南方の原油は高オクタンの燃料を作るには適していない。」

 南方の原油といっても色々あり、重いの軽いの、硫黄分の多いの少ないの、南方の原油などと一言でまとめる事自体、そもそも無理がある。
 こんな事を言ったり、書いたりしている人間は、本当はすべからく私を含めて石油に対して無知なのである。
 昔、書いたことがあるのだが、パレンバン第二製油所傘下の油田は重質油が多く、航空燃料の収率が良くないのだが、パレンバン第一製油所傘下の油田では、直溜で50%を超える収量を誇る所も在り、航空燃料に向いていないだとは、実は口が裂けてもいえないのである。
 スマトラ島だけではなく、海軍の支配下にあったボルネオ島でもタラカン原油に幻惑されて勘違いされている分もあるが、軽質油に富んだ油田も存在するのである。
 そもそもこの話には裏があるのではないかと私は考えている。高オクタンの航空燃料を製造するのであれば、多少は影響するが、直溜で得られた軽質油のオクタン価など余り重要ではないのではなかろうか?
 そもそもこの時期、配合用の高オクタン価の燃料は、原油の蒸留とは違った製法で作られていたのである。これらの製法を自分の物に出来なかった日本航空燃料製造関係者、特にやたら自信があるが実際にはアメリカに逆立ちしても追いつく事が出来なかった海軍燃料関係者が自分達の力の無さを隠す為に、南方の原油は高オクタンの燃料を作るに適していないと言わざるをえなかったと考えるのは、今、私が酔っぱらっているせいであろうか。

 「南方の原油は高含蝋なのでハイオクタンの燃料を作るには向いていない。」

 蝋ことパラフィン(石蝋)は戦前日本が輸入していたカリフォルニア原油にはほとんど含まれていなかった。南方特にスマトラ産の原油の一部にこれをたくさん含有した油田があり、脱蝋装置の充実していなかった日本の石油精製設備では処理しきれなかった。
 しかし、原油を蒸留した場合、蝋は重質分に残り、航空燃料になる軽質分には入ってこないのである。つまり、蝋と航空燃料の製造の間には実は何の因果関係もないのである。
 日本の製油所では高含蝋の原油を処理する場合、蝋の為、流動性が無くなるので配管に加熱装置を付けなければならない。また、製油所に脱蝋装置がない場合、製造された重油は流動性を失い缶用重油として使うのであれば、タンクや配管に加熱装置を付けなくてはならないのである。(ここで一部勘違いされている方もいると思うので書いて置くが重質油と高含蝋油とはまったく違うものである。重質油とは流動点が高い石油をいうのであって蝋分とはまったく関係ない)
 ボルネオ島にあった海軍支配下のバリックパパン製油所ではパラフィンを原料として高品質の航空機用潤滑油を生産していた。日本では中々得られなかった航空機用潤滑油、欧米ではこうして作っていたのである。陸軍はこの装置を羨望の眼差しで見ていたと言う
(戦時中、北海道の留萌市で滝川市の人造石油工場で生産されるパラフィンを使用し航空機用潤滑油を生産しようと研究所が置かれ、工場の計画があった。人造石油製造、石炭乾溜などで必ずパラフィンが生産されるのである。しかし、日本では航空機用潤滑油製造までは至らなかった。蛇足)