ヂーゼル機器株式会社はドイツのロバート・ボッシュ社のヂーゼル用燃料噴射ポンプをライセンス生産するために作られた。東京自動車工業㈱と三菱重工業㈱の合弁の元、昭和14年7月設立された。計画は
第1期計画/制作権支払い、資材費、土地、建物、付帯設備、国産機器(計41台)および輸入機器(計12台)
第2期計画/建物、付帯設備、国産機器(計91台)および輸入機器(計57台)
起工および竣工
第1期計画 昭和14年7月起工、15年3月竣工
第2期計画 昭和15年2月機械・設備完了、同年6月作業開始
だった。
工場は埼玉県比企郡松山町に立地され、建物は昭和15年10月にはほぼ完成した。しかし計画は遅れていた。とりわけ影響の大きかったのは、ドイツから輸入 を予定した工作機械が届かなかったことであった。この輸入機械は、燃料噴射ポンプの生産には不可欠だったからである。たとえば、ノズルの噴孔をあけるドリ ルや、ノズル・プランジャをラッピングするラッピングマシン等はどうしても必要なものだった。もちろん、わが国でもこれらの工作機械を全く調達できないわ けではなかったが、ロバート・ボッシュ社の製品と同じものをつくるには輸入機械が必要であった。さらには、製品をテストするロバート・ボッシュ社製のテス ターも必要であった。
昭和16年6月22日ドイツ軍がソビエトに進入し、シベリア経由での工作機械の輸入は絶望視されるに至った。ここにおいて同社は輸入工作機械中心の生産を断念し、断固国産機械をもって生産するとの決定を下した。
そして、国産機械を持って昭和17年1月に燃料噴射ポンプを20台生産、相模造兵廠に納入した。昭和17年になり、ドイツから輸入機械がぼつぼつと入りは じめた。シベリア経由での輸送が断たれた状況では海路に頼むほかなかった。その海路も輸送船では危険が多いため、潜水艦で送ってもらったものである。それ でも、輸入機械の数は、17年4月現在で20台余りにすぎなかった。シューラー社製の特殊旋盤、カール・ユング社製の研磨盤などで、そのほかにはロバー ト・ボッシュ社製のノズル用試験装置も含まれていた。また、18年夏にはドイツから潜水艦でホマーグ精密中刳盤が、その他の研磨盤などとともに到着した。
なお、当初、ロバート・ボッシュ社の指示は2回にわたって行われ、第1回指示では72台、第2回指示では49台の計121台が輸入工作機械で、これに国産工作機械190台を加えた311台が、ボッシュ社指示による工作機械の購入予定台数であった。
生産量は
昭和17.5~17.10
燃料噴射ポンプ 427
昭和17.11~18.4
燃料噴射ポンプ 1,536
昭和18.5~18.10
燃料噴射ポンプ 1,951 ノズル 11,315
昭和18.11~19.4
燃料噴射ポンプ 2,324 ノズル 6,187
昭和19.5~19.10
燃料噴射ポンプ 2,655 ノズル 4,893
昭和19.11~20.4
燃料噴射ポンプ 2,491 ノズル 5,742
昭和20.5~20.10
燃料噴射ポンプ 1,373 ノズル 4,451

引用文献
「ヂーゼル機器40年史」 ヂーゼル機器株式会社
昭和56年7月17日発行

これらの燃料噴射ポンプは車両用の物である。輸送したのは潜水艦とあるが間違いなく「柳船」である。