戦前、戦時中日本が必死に模倣しようとしたドイツの人造石油、その実態はよく分からない。外国語が分かれば王道を行く方法もあるのだが、なにせ日本語しか読めないので道は遠い。今回、次の本にドイツの人造石油生産の記述があるのを見つけた。
「欧州のタール工業-渡欧タール工業専門視察団報告書-」
昭和37年11月30日発行 日本生産性本部
これは1960年頃、日本の視察団がヨーロッパ石炭工業を見聞したものである。この中でドイツ(西ドイツ)の記述もある。
戦前、戦時中ドイツで行なわれた人造石油の製造法は
① フィシャー・トロプシュ法
② 水素添加法
③ 低温乾留法
の3つである。
① フィシャー・トロプシュ法とはコークス由来の一酸化炭素と水素の混合ガス又は褐炭を直接ガス化し反応筒中でコバルト触媒のもと反応させ液化油を得る方法である。ドイツには9工場あり、戦時中、最大生産量は57万トン/年にも達し、これはドイツ国内石油生産量の約8%に及んだ。この方法の最終製品の72%は液体燃料(ガソリン及びディーゼル油)で、残る28%は精製ワックス、潤滑油、洗剤(高級脂肪酸?)油脂等の製品だった。日本でも2ヶ所で製造が行なわれたが、日本が望んでいた高オクタン航空燃料製造には不向きであり、当時日本側には分からなかったが、ドイツでも航空燃料にはほとんどされていない。
② 水素添加法は褐炭、瀝青炭、褐炭タール、瀝青炭タール、タール油、ピッチ及び石油系重質残渣油を原料として反応筒中で水素を添加するのものである。ドイツでは1944年には12の水添液化工場が操業し、液体燃料年産総計350万トンの生産規模に達し、これらの工場から、1939-45年にわたる第二次大戦中にドイツが消費した航空燃料の大部分を供給した。水素添加そのものが高オクタン燃料製造に向いているのであるから、ドイツが用いた96オクタンなどは意外に容易に製造出来たと思われる。日本がこの方法を物に出来なかったのは、実験室レベルで成功した海軍法の使用を強要したこと、反応筒の供給が順調に出来なかったこと、ドイツからの情報により石炭から直接液化油を作ったという事にこだわり、技術的に行き詰まったこと(ドイツでも石炭から直接作るのは苦労したようで、タールや重質油から製造する方がはるかに容易である。)などが考えられる。
③ 低温乾留法は製鉄に用いるコークス製造より低い温度で石炭を乾留する方法である。低温で乾留するほうがタール分の収量が多い。ドイツでは瀝青炭より揮発分の多い褐炭を用いた。乾留により得られた低乾タールは水素添加法の原料になると共に、低乾タールをさらに蒸留して揮発油、ディーゼル油、パラフィン、ピッチ、タールコークス(電極に使用)を製造した。ドイツでの褐炭タールの生産は1943年で141万トンに達した。日本でも樺太、室蘭、宇部、八幡で低温乾留が行なわれ、日本での人造石油製造は低温乾留法だけを採用すべきだったという専門家の意見もある。
最後にこの本で興味深いのは、ドイツでは製鉄などに使用するコークス製造に伴い生産されるタールから、自動車燃料として用いられるモーターベンゾールが1958年、324,300トンも製造されていることである。また、都市ガス工場でもこの年、15,100トンのモーターベンゾールを産出している。戦時中、いったいドイツ支配下のヨーロッパ諸国ではどれだけのモーターベンゾールが産出されたのだろう。そして日本では。