かつて「オバホルモン」について書いた事があるのですが、読者であり、「オバホルモン」を製造されている帝国臓器製薬にお勤めされていらっしゃる方から社史が発行されている事をお聞きし、また、札幌でこの呪われた趣味を共有する友人、ユンカース様から女性ホルモンである「オバホルモン」が男性の滋養・強壮に効果はないのではないかとのご指摘を受けました。今度、
「帝国臓器製薬80年史」 平成12年12月発行
を借り受けてきましたので、その辺のところをチョット書いてみたいと思います。
帝国社臓器薬研究所は「オバホルモン」に続き、男性ホルモンの研究を始めました。1929年(昭和4年)、フンク(Funk)らが男性尿中に多量の男性ホルモンが存在することを明らかにし、1931年にはブテナントが男性尿から、男性ホルモンの一種であるアンドロステロンを取り出した情報によるものでした。男性ホルモン含有量の多い青年男子の尿を用いることにし、社内、続いて川崎中学校の生徒、さらには近衛三連隊のほか、東京の各連隊兵舎から原料尿を集めました。昭和9年3月学術名テスチホルモン(後にテストステロン)を「エナルモン」として発売しました。「エナルモン」は非常に好評で現在の川崎市高津区に人尿濃縮の為、高津分工場を建設しました。高津分工場で処理した人尿は昭和18年で1101kl、購入金額は1万700円でした。昭和19年5月、帝国臓器の工場は陸軍衛生材料廠の監督工場の指定を受けました。「科学朝日 通巻四十二号」昭和20年2月1日発行に「オバホルモン」と並び「エナルモン」の広告が載っています。そして、「記憶力減退、神経衰弱、疲労体質、血圧亢進」の症状に効果があると書かれています。つまり搭乗員に与えられたのは「オバホルモン」ではなく「エナルモン」だったのでしょう。
話は変わって元々帝国臓器製薬は食品の製造販売から創業しました。国内でグリーンピースの栽培を始め、始めて水煮缶詰を製造、販売しました。そして、明治44年6月には海軍経理部にも大量の納入が認められるようになったのですが、いったい当時海軍ではどのように調理されていたのでしょうか?また、大正頃製造された豚肉の缶詰「濱焼」「帝国煮」そして牛肉と豆の煮付けの缶詰「日之出煮」は軍用として用いられたのでしょうか?非常に興味あるところであります。