鐵興社35年史
     株式会社 鉄興社
     昭和36年10月1日発行

 戦前の関東以北は、不毛の地で何もないと思っていられる人も多いと思う。現代でも、私のごく身近に「北海道は人の住む所ではない。」と公言なされていらっしゃる方が居るのは、実に困ったことである。しかし、戦前、戦中、東北に私にとっては味の有るものを作っていた会社があった。戦前、東北は「冷害」と「娘の身売り」だけだったのではない。
それが上記の鉄興社だ。
 鉄興社は昭和の初め、東北地方の豊かな自然が生み出した水による水力発電の余剰電力を使い、フェロアロイを作り始めた。鋼(はがね)を製造する際に不純物を抜き取ったり、元素を添加する目的で鉄を含んだ各種の合金を使用する。この合金をフェロアロイという。なお我が国では合金鉄あるいは鉄合金と呼んでいた。
 鉄興社はフェロアロイの中でもフェロマンガン、フェロシリコン、フェロクロムを製造していた。これらは装甲板、砲弾、各種特殊鋼に使用され、極めて重要な物であった。
 地味で余り取り上げられることのないが、各種工業生産にとって欠かせないソーダ類の生産も行っていた。ソーダは塩を電気分解して作り、風防用ガラスであるアクリル酸樹脂の生産に必要な青化ソーダもここで作られていた。
 電力と石炭と石灰石で作るカーバイトも製造しており、カーバイトからの各種 有機化学合成を行っていた。ブタノール合成からイソオクタンの製造も計画したが、頓挫した。また、カーバイト由来の酢酸から酢酸繊維素を作っていた。酢酸繊維素から人造羊毛(アセテート)を生産した。
昭和19年陸軍の要請により、ドープ塗料(酢酸繊維素系)の製造が始まったが、昭和20年になるとなぜか使用されなくなってしまった。
 電気炉を使用した製鉄も行い、砲弾の弾帯の銅の代用になる純鉄も生産した。
 他にも「秋水」用の過酸化水素の製造計画など実に興味深いものがある。もし、どこかの図書館で見かけたら本書を一読することをお薦めする。

 最後に,東北、岩手県が生んだ時代を超越した童話作家をご存知だろうか。締めとして、彼のごく身近に浮遊していた人間の詩を書き記しておこう。

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
   丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ怒ラズ
   イツモシズカニワラッテイル
   一日ニ精米一合ト
   食パント少シノオカズヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ
   ヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ
   月寒ノケンタノ側ノ
   小サナコンクリートノマンションニイテ
   東ニ未見ノ資料アレバ
   行ケナイノデジット我慢シ
   西ニ大砲に憑カレタ課長アレバ
   行ッテワカラナイコトヲキキ
   南ニ貧乏デ死ニソウナ人アレバ
   行ッテソノ蔵書ヲ安ク買イ叩キ
   北ニ零戦ノ製造番号ニ悩ム人アレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ
   金欠ノトキハナミダヲナガシ
   質問サレタラオロオロアルク
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   釣リバカ日誌ノハマチャンノヨウニ
   ワタシハナリタイ