tackow様より以前「航空技術の全貌」を読んだことがあるか聞かれた事があります。当然、私の貧しい蔵書の中には無く、どんな事が書いてあるのだろうかと、田舎の貧乏人の悲哀を味わっていました。この度都会の図書館で初めて閲覧する事が出来て「へ~そんな事が書いてあったの」と思った次第であります。

 太平洋戦争に突入して二年位は、それまでに米国から購入貯蔵していた燃料で戦い、その間に南方の石油を押さえて爾後は南方産石油で戦うというのが日本の計画であった様だった。ところがその南方産原油が到着して見ると、その性状は甚だしく米国産原油とは異り、特に多量の蝋を含んでいる事に依って、今迄の精油装置及び精油法によっては、缶用重油の製造が出来なくなり、又航空揮発油分は比較的多く含まれている油田もあるが、そのオクタン価は甚だ低く、加鉛0.1%で八〇程度しかないという状態で、全く当が外れ、燃料技術者総動員でこの対策を急速に樹てねばならぬ窮境に追い込まれた。これは甚だ不用意千万なことで、この点から見ても海軍は全然この様な戦争をする意志を持っていなかった事が明かである。南方の油で米、英を相手に戦争する意志があったならば、何年も前からその性状を調べ、その処理法を考え、処理装置を用意しておいた筈であった。
  「航空技術の全貌 下巻」P511~512

 あ~なんと言う発言でありましょうか。戦前、人造石油における直接液化法、ドイツからの技術導入を望む民間技術者の意見を踏み潰し、まったく使い物にならなかった海軍方式を押し付け、全てを無駄にさせた程、自分達の技術には自信をお持ちになっていた海軍燃料関係者、こんな事を言って良いのでありましょうか?これが戦後一般に流布する「南方産原油からはハイオクタンの航空燃料は作れない。」という話の原点になったのでしょうか?
 戦時中の南方産石油の性状を見てみますと、直溜で得られた軽質油分に加鉛0.1%で八〇程度などと全てに共通しているわけもなく、高オクタンの物もあるのです。多種にわたる南方産原油を、そもそも一つの物として定義すること自体、素人には不思議に思うのですが、専門家にかかるとこう言い切ってしまうのでしょう。
 戦前、日華事変時にボルネオ島のバリックパパン製油所から緊急輸入したベンゼックスBenzex実は重揮発油よりエデレアヌ装置で抽出した物で、南方ではごく普通に製造されており珍しくもなかったのです。しかし、日本では実用化されませんでした。ハイオクタン航空燃料製造に絶対必要とする配合用燃料、わずかなイソオクタンぐらいしか日本では製造できませんでした。

 戦後すでに半世紀以上もたったのですから、そろそろ
「実は100オクタンどころか92オクタンも満足に出来なかったのは、連合国側に比べて、技術も製造設備も圧倒的に劣っていたからだ。原油の性ではない。」
 と発言してもよいのではないでしょうか。
 呪縛は解かれねばなりません。

  参考文献
 「新石油事典」石油学会 1982年 朝倉書店