かつての激戦地硫黄島、地下壕はとても暑く、今では自衛隊員に「サウナ」として利用され、夜な夜な英霊の皆様もお出でになると、日本の偉大なシブイ報道写真家であるM氏がその著書の中で紹介されています。戦前硫黄島では水を得るためには、天水(雨水)を貯めるか井戸を掘り硫黄臭くチョットしょっぱい水(北海道弁?)を汲むしかなかったと聞きます。地下壕にもぐった日本軍、一升瓶に貯えた水を飲み渇きをいやし、水を求めて地下壕を出、多くの命を失ったと聞きます。
 遥か昔、私が学生だった頃、研究室では実験に使う脱塩水(混じりっけの無い水)を水道水から作っていました。これは水道水を「イオン交換樹脂」に通し塩素などのイオンを取り除く物でした。昨日取り上げた「三菱化成社史」を読んでいたら、戦時中に日本軍がイオン交換樹脂を使用した話を初めて知りました。なおイオン交換樹脂は1935年頃見出され、ドイツのIG社によって系統的な研究と工業的なイオン交換樹脂の製造が始まり、アメリカでも1941年アンバーライトAmberliteの商品名で市販されました。

      イオン交換樹脂の開発
 太平洋戦争末期、日本軍が全滅したあとの硫黄島に上陸したアメリカ軍は、島に残されていた軟水製造装置を発見して大いに驚いたという。それが当社の製品であることがわかり、終戦後アメリカ軍から確認の問合せがあった。硫黄島に掘られた井戸の水は硫酸マグネシウムを多量に含み、飲料水に使えなかったので、これを除去するためにイオン交換樹脂による軟水製造装置が使用されていたのである。
 水中に溶けた不純物を除去するためにイオン交換樹脂を用いる方法は、1935年(昭和10年)イギリスで発明され、樹脂の製法特許はIGが保有していた。これらの発明に刺激されて当社が大井町研究所で初歩的な試験を開始したのは昭和15年であるが、その後、当社が着工した第2発電所の高圧レフラーボイラーの正常な運転のために硬水の軟化だけではなく、水中の塩類を完全に除去することが必要となり、イオン交換樹脂の研究が促進された。しかし、外国文献が入手できなかったため、研究は手探り状態を続けていた。陰イオン交換樹脂、陽イオン交換樹脂ともに純良な樹脂を造り出す自信を得るまでにはその後数年を必要とし、19年末から20年初めにかけてようやく両樹脂を各1t製造した。その一部が陥落直前の硫黄島に届けられ、当社は終戦前にイオン交換樹脂工業化の記録を残すことができた。なお、戦前にイオン交換樹脂について系統的な研究を進めたのは一部の大学(京都大学の小田良平)を除き当社だけであった。
   「三菱化成社史」三菱化成株式会社 昭和56年6月1日発行

 そういえば今度出来る高校の化学の教科書で「イオン」の勉強が無くなるらしいのですが、若い世代、それでなくても訳のわからない「座敷牢」読んでもさっぱり理解できないでしょう。迷走する学校教育アリガタヤ。