「Uボート997」H・シェッファー 横川文雄訳 朝日ソノラマ文庫中の「南海のドイツ海軍」横川文雄著 それはそれはすばらしい内容なのだが海軍正規士官がお書きになっただけ、つまらないミスもあるのである。別にたいした問題でもないし、どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、「旧軍糧食研究家」としてやっぱり書いてしまった。
インド洋に進出したUボートに日本側としても食糧を調達しなければならなかった。上記文中に次ぎの記載があった。
ドイツ大使館付海軍武官室からは早速十隻の潜水艦に必要な糧食のぼう大なリストが海軍省に提出されたが、大部分のものは海軍省軍需局の子安少佐、M大尉、S大佐などの絶大な尽力により、1944年4月に神戸を出港予定の『ロスバッハ』に積み込むことができたのである。海軍省が特に入手するのに苦労したのは、ドイツ人が無しにすますことのできない黒パンの原料である裸麦を十トン集めることだった。九州及び四国のごく一部でしか生産されていない裸麦も十トンもまとめることは、当時の海軍省の威光を以ってしても、誠になみなみならぬ努力を要することだった。
一般的に黒パンと言われる「ライ麦パン」はその名の通り「ライ麦粉」を主とし(「小麦粉」などを一部混ぜる物もある。)作ったパンである。文中の「裸麦」は大麦の一種で粉にしてもパン(発酵生地)にはならない。ライ麦は小麦の実らない寒冷地でも栽培でき、ドイツ、東欧、北欧、ロシアなどでライ麦パンが食べられている。(噂によると、彼らも小麦粉で作られた白いパンが好きで、出来れば黒パンなど食べたくないのだという。)当時の日本でのライ麦生産など見たことも聞いたこともないのだから、九州、四国で生産されたと言われてもわけが分らない。ただ、旧満州には白系ロシア人が住んでいたこともあり、それなりの生産が行なわれていたと思うのだがどうなのであろうか?
手元に一冊の小冊子がある。
「 昭和十六年九月一日発行
『北農』第八巻九号別刷
郷土食糧としてライ麦の利用を奨む
山本晃治 」
戦時中、北海道の泥炭地、酸性土壌地など地味のやせた土地でも栽培可能なライ麦の生産を奨めた本である。「人の住むところではない土地」だからこそ作って食べなさいと言う本である。専門的な事を書いても面白くないので、はなはだ怪しい黒パンの作り方を書き写しておく。
ライ麦発酵パン(黒パン)
〔材料〕ライ麦粉100匁、砂糖5匁、脂肪及食塩少々、乾燥酵母1匁
温湯1合余
〔製法〕温湯5勺に酵母を加えて撹拌し酵母の活性を促して置く。捏鉢に砂糖、食塩を入れ温湯5勺余を加えて溶解し、これにライ麦粉を入れ、活性を呈した酵母液と脂肪(バター又はラード等)を加え、耳たぼ位の硬さにしてよく捏ね、表面を滑らかにし直接風の当らぬようにして華氏八五度内外の処に保温すると二時間位で二倍大に膨れる。この時捏ね返して瓦斯を抜き再び保温して約一時間位すれば二倍位に膨れるから、取り出して軽く押えて瓦斯を抜き、適宜の大きさに丸め、油を引いた焼型に乗せ、前と同様に保温して二倍近く膨れたら天火に入れて焼き上げる。
(プリンス注、高温で充分に火を通し、焼き色をしっかりつけられると美味しくお食べになれます。切るときは薄めに。)
参考文献
「週刊朝日百科 世界の食べもの
No122 ムギの文化」昭和58年4月24日発行