昨日は北海道が誇る温泉郷、登別温泉に行く。会社内の一部に企業戦士と呼ばれるプリンス、半年分の疲れを癒した。ここでは戦時中、千歳で訓練に励んでいた搭乗員、室蘭港に入港した艦艇の乗員がお湯につかっていたのである。
 今日は少し足を伸ばし、市立室蘭図書館を訪問した。戦争末期室蘭に配備されたという重砲の関係資料が在るのではないかと思ったのである。図書館館長である山下敏明氏に、そのような資料は図書館には無いことと、米機動部隊艦載機に対する対空射撃の様子を伺い、日本一の大砲の権威の話をしておく。妻と子供が我慢できる一時間しか滞館を許されなかったので戦果はほとんどなかったが、
 「室蘭地方史研究 第16号」 昭和57年2月30日発行  に
 「登別側から見た艦砲射撃」の記載があり、盛岡西雄氏(函館重砲に入隊、昭和二十年、室蘭の測量山に砲構築)の記述があった。

 「測量山頂上に十五サンチカノン砲設置の作業をやりました。ところが、砲はついたが方向盤がない、それで日鋼(日本製鋼)に頼んで作製してもらっているうちに敵がやってきてしまったわけです。こちらは全く反撃できませんでした。室蘭には相当の砲が装備されたといいますが実態はさにあらずです。私たちは函館の重砲部隊ですが、ここに配置されたのは、わずか三八野砲四門なんです。全くどうしようもなかったですね。」・・・・・いったいどこに真実はあるのか?
 今日、プリンスは室蘭の地球岬から太平洋をのぞんだ。プリンスの視線の先には火を吹く米戦艦の四十サンチ砲がはっきりと見えたのである。