Archive for 8月, 2008
二極分化した東部戦線独軍師団
1942年の夏季攻勢「ブラウ作戦」はスターリングラード戦につながる大きな戦いとなりますが、南部で大攻勢が行われている間、ずっと守勢を取り続けていた中央軍集団、北方軍集団はどうなっていたのでしょう。防御ドクトリンの変遷を […]
8月 7, 2008
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独陸軍、旧ドクトリンを更新せず
1941年の冬に猛烈な勢いで全軍に浸透した「ハリネズミの陣」(拠点防御あるいはストロングポイント方式)ですが、そのまま素直にドイツ陸軍の防御ドクトリンに組み込まれた訳ではありません。ドイツ軍の公式な防御ドクトリンは19 […]
8月 6, 2008
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消耗と厳寒と死守命令が生む新戦術
1941年の冬、モスクワ攻略失敗後のソ連軍大反撃にドイツ軍が何とか持ちこたえたことはよく知られています。けれども消耗した戦力でどんな方法で耐えたのかが説明されることは殆んどありません。「ヒトラーの死守命令が下された」「 […]
8月 3, 2008
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「ハリネズミの陣」はなぜ生まれたか
電撃戦時代前半までのドイツ陸軍の防御ドクトリンは第一次世界大戦の遺産でした。戦車はあくまでも攻撃兵器として反撃フェイズで集中投入されるもので、敵の攻撃を受け止めるのも歩兵なら、打ち破るべき敵も敵歩兵でした。敵歩兵さえ殲 […]
8月 2, 2008
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