空の要塞が飛び立つまで

 第二次世界大戦中にドイツに対して実施された戦略爆撃がアメリカ軍による昼間精密爆撃とイギリス軍による無差別夜間爆撃とに綺麗に役割分担されていたことでアメリカでは早くから昼間精密爆撃による戦略爆撃思想が発達していたかのように思われています。

 ところが毎度のことながら現実は一筋縄では行かないもので、空軍独立論者のミッチェルを生んだアメリカ陸軍航空隊はまっすぐな道を歩んでB-17爆撃機を手にした訳ではなく、しかも彼らは戦略爆撃論者にして空軍独立論者のミッチェルの信奉者とも言い切れない、というクドい話を始めようと思います。御用と御急ぎでない方は御付き合いください。

 第一次世界大戦後、アメリカ陸軍航空隊が初めて中期スパンでの軍備拡充計画を立案したのは1926年に検討され始めた5ヵ年計画からです。この時にアメリカ空軍は1650人の空軍将校、15000人の下士官、1800機の航空機という大枠を目標として新たな軍備を開始します。けれどもこの計画は陸軍内ではあまり評判の良いものではなく、陸軍内の他の部門にとって航空隊は地上軍の予算を食い潰す厄介な存在でした。予算上の問題は航空隊にとって最も大きな障壁で5ヵ年計画は主にその理由で停滞してしまいます。

 この計画当初、航空隊が陸軍省に対して要求していたのは「昼間爆撃用の軽爆撃機」と「夜間爆撃用の大型爆撃機」でした。昼間爆撃は損害が見込まれるので大型爆撃機による攻撃は夜間に行われるという想定だったのです。主力は夜間、ということです。1920年代のアメリカ陸軍航空隊の爆撃に関する考え方はこのようなもので「昼間精密爆撃」とは縁遠いものでした。

 しかしこの要求は1928年に陸軍省から正式に拒絶されてしまいます。陸軍省としては航空隊に必要なものは大型夜間爆撃機ではなく双発偵察機とその派生型としての爆撃機であるという判断です。陸戦の支援には偵察機が重要で、その次に軽爆撃機があればよいという陸戦主体の発想としては当然で、予算も無ければ差し迫った国防上の問題も無いのに夜間爆撃用の大型爆撃機を開発する理由が無いという決定は覆りません。

 さらに航空隊内部でも航空隊戦術学校も1930年に夜間爆撃は爆撃が不正確で不十分な結果に終わるとして否定的な見解を示します。「爆撃機は軽爆、重爆ともに昼間爆撃機とすべきであって、優秀な爆撃機さえ開発できれば速度と武装によって戦闘機を寄せ付けずに任務を遂行できる」というものです。こうした発想の下で開発された爆撃機がB-9とB-10です。第二次世界大戦中のアメリカ爆撃機を見慣れていると旧式な姿に惑わされてしまいますが、これらは戦闘機に優越する爆撃機として開発された最初のアメリカ爆撃機にあたります。

 この時代にこうした爆撃機優越論、または戦闘機無用論が現れるところには必ずイタリアの空軍万能論者ドーウェの影があります。アメリカにはミッチェルがいるではないか、と思ってしまいますが、ミッチェルは騒動の種はたくさん蒔いていましたが陸軍航空隊のドクトリン策定に対しての影響力はその名前ほどではありません。

 1920年代の陸軍航空隊は制空権というものは戦闘機の大量投入によって獲得されるものだとしています。これが1930年4月の航空隊戦術学校の教範「The Air Force」では爆撃機編隊はその速度と火力によって戦闘機の護衛無しで任務を達成でき、戦闘機の力を借りる必要があるのは爆撃機編隊が前線を突破する際に敵戦闘機の邀撃を排除する場合だけで、それ以後の敵国深部への侵攻は爆撃機編隊独力で実施できると主張されています。

 こうした爆撃機優位論はミッチェルではなく間違いなくドーウェの影響でした。ドーウェの著作がアメリカ陸軍航空隊内で注目され始めたのは1920年代末からで、1930年には著作が航空隊戦術学校の図書館に収められ、ドーウェに関する論文や翻訳も次々に行われるようになります。

 爆撃機優越論はドーウェの主張する「巡洋戦艦」としての爆撃機に由来するもので戦闘機よりも爆撃機を重視し、戦闘機による空中戦による制空よりも、敵飛行場を攻撃することで敵空軍の行動能力を奪う航空撃滅戦によって制空権を獲得するのがドーウェ流の考え方です。アメリカ陸軍航空隊が航空撃滅戦の概念をテキストに加えるのはドーウェ思想導入以後、1931年2月の「The Air Force」改正からで、「敵機は空中で、飛行場で、補給廠で、そして工場で破壊する。」とのドーウェ的な表現が印象的です。

 しかし、ドーウェの影響下で航空撃滅戦に目覚めた陸軍航空隊はいったいどんな戦争に備えて爆撃機開発をしていたのでしょう。アメリカは地理的に孤立していますし、ドイツ空軍の復活はまだ先のことです。日本から爆撃機が飛んで来る訳がありませんし、メキシコと本格的な航空戦が戦われるとは到底思えません。

 そこで想定されたのは当時のアメリカにとって考え得る最悪のシナリオとして「イギリスと日本が連合してアメリカと敵対し、その空母部隊を使って北米大陸の北西、北東に上陸作戦を含む攻撃を仕掛けてくる」というものです。当時としては、そんなことはあり得るのか?という疑問よりも、他にどんなシナリオが考え得るのか?ということの方が問題だったようです。そして大陸沿岸の防衛は陸軍航空隊の任務でもありました。陸軍爆撃隊の第一の敵は空母だったのです。

8月 18, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊

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