独陸軍、旧ドクトリンを更新せず

 1941年の冬に猛烈な勢いで全軍に浸透した「ハリネズミの陣」(拠点防御あるいはストロングポイント方式)ですが、そのまま素直にドイツ陸軍の防御ドクトリンに組み込まれた訳ではありません。ドイツ軍の公式な防御ドクトリンは1942年の夏になってもまだ「弾性防御」のままです。

 前線での背に腹は変えられない事情によって突如現れた新しい戦闘方式を陸軍が公式のドクトリンにまとめ上げるにはドイツ陸軍中央がこの戦闘方式についてあまりにも情報が乏しかったからです。前線で何が起きているのかがよくわからない。そしてそこで採用されている手段の有効性が評価できないという困惑を東部戦線最初の冬季戦を終えた1942年4月のドイツ陸軍中央の動きから感じ取ることができます。

 1942年4月、長く苦しかった冬季戦の評価が行われ、そこで突如現れた新戦術についての評価が試みられます。「弾性防御」と「拠点防御」の比較です。既に東部戦線にあった部隊の殆んどが「拠点防御」を体験していましたが、あらためて調査が行われるとその評価はけして一様ではありませんでした。肯定的な評価も多ければ、否定的な評価も多数ありました。

 否定的な評価としてはまず、拠点防御は小規模な部隊が村落に集中するので敵の砲撃に対して脆いというものがあります。さらに点在する拠点による防御では敵の浸透を押し留めることが難しく、特に夜間の防衛は困難で、友軍の逆襲も損害が大きくなるといったものでした。そして拠点防御方式は各拠点が孤立しやすいという本質的欠点を持っているという指摘もあり、こうした短所を指摘した部隊の中には今後、拠点防御の実施を禁じた例もあります。しかし拠点防御に積極的に賛成しなかった部隊もその効果をある程度認めているものが大半でした。たとえば拠点防御は従来の連続防衛線方式(弾性防御を含む)を実施できない兵力的な限界がある場合に有効な非常手段である、といった少々煮え切らない評価です。

 そんな中で大規模な事情聴取が1942年8月になって実施されます。これは拠点防御と連続線方式かといった二者択一を迫るものではなく、拠点防御方式をドクトリン化する場合の妥当性を検討するためのものでした。

 そもそも拠点防御方式は特に革命的なものではありません。たとえば「フランス戦で連合軍主力がダンケルクから海に追い落とされた後、パリに進撃するドイツ軍を押し止めるためにフランス陸軍が採用した戦術もこれと良く似ているんじゃないか?」と気づいた方がいるかもしれません。あなたは正しい。しかも鋭い。

 確かに良く似ています。第二次世界大戦でもっとも旧式な発想に囚われていたとされるフランス陸軍でさえ組織的に採用できた戦術を最も進歩していたはずのドイツ陸軍がなかなか採用できなかった点が面白いところです。すなわち拠点防御方式とは陸戦理論で最先端を進んでいると他国から思われ、しかもそうした自負もあるドイツ陸軍中央の将校達にとって「それのどこが良いのだ?」と思わせる程度に戦術的な発想としては平凡なものだったのです。

 しかしこの調査の結果、拠点防御には重要な特徴があることが確認されます。
 調査に対してある部隊の指揮官は拠点防御方式の利点として「部下の統率」を挙げています。連続線方式の防御戦よりも部下を指揮しやすいというのです。村落を中心とした全周防御陣地に配置した兵員は連続した塹壕線に配置した兵員よりも動かしやすく、しかも少数の未経験の若年指揮官がそれを実行できたという主張です。これは野戦将校の深刻な不足に苦しむドイツ陸軍にとって重要な意味を持ちます。拠点防御は若年の指揮官にも指揮しやすく育成に手間のかかる士官の数を節約できるということです。

 そしてもう一つの利点として兵士達の士気の問題が採り上げられています。小規模な全周防御陣地内に配置された兵士達は連続線式の防御陣地に配置された兵士達よりも互いの連絡が比較的密にとれるため、何につけても協同しやすく士気も維持されやすいということです。苦しい戦闘で打ちひしがれた兵士の士気を支えるためにも拠点防御は有効だとする主張は注目を集めました。連続線方式の塹壕に配置された兵士達は心理的に孤立しやすく、士気が低下しやすいが全周防御陣地に配置された兵士達は孤独感が少ないという評価です。これも未経験な新兵や体力的に劣る補充兵の割合が急速に増えつつあったドイツ陸軍にはきわめて魅力的なものです。

 けれどもこのようなドイツ陸軍の現状に即した利点があったにもかかわらず拠点防御方式は正規のドクトリンに組み込まれることはなく、ある限定的な状況における非常手段といった評価のみで終わります。拠点防御を支持する動きは前年の冬季戦が繰り返されると主張する敗北主義として片付けられてしまいます。1942年の夏、コーカサスへ向けての進撃が始まる直前のドイツ陸軍はまだ第一次世界大戦で生まれた「弾性防御」を正規の防御ドクトリンとして堅持していたのです。

8月 6, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ドイツ軍の防御戦ドクトリン, 陸戦

Leave a Reply