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付録その3

  「Uボート総覧」
   著者   デヴィット・ミラー
   訳者   岩重 多四郎
   発行所  株式会社大日本絵画
   発行日  2001年9月1日
   定価   4300円

 生まれた時から生涯を共にすると誓った貧乏と、収納スペースの問題から、なかなか新しい本など買ってもらえないのだが、今回や~っと許可がおりたので、この本を買っていただいた。

 今更、この歳になるとUボートの話を読んでも、あまり反応しなくなったのだが、この本には私には見逃せない話があったのである。そこで戦時中の「科学朝日」には待っていただいた。
 皆さん、インド洋で暴れたモンスン戦隊(Gruppe Monsun)をご存知であろうか?もし知らないのであれば例の質問コーナーで聞いてください。

 とにかく、マレー半島のペナン等を根拠地としてUボートが暴れたのである。私は補給品(魚雷、部品)をどうやってペナンまで運んだのか知りたかったのである。また、時たまお目にかかっていた日本本土を根拠地として通商破壊艦(仮装巡洋艦)やUボートに補給を行っていた給油艦「カルロッテ・シュリーマン」や「ブラーケ」の最後をより詳しく知りたかったのである。すべてその答えはこの本の中にあった。

 この本で絶対見逃せないのは「極東向け輸送作戦」という章である。
 ここには海上封鎖突破船の概略やUボートによる日本向け、ドイツ向けの物資の内容と積載量が書かれている。これは私のような遊びをしている者(他にいるとも思えないが)にとってはとっても重要な話だ。

 本の内容をあまり詳しく書くと怒られそうだが、今回、興味をひかれたゴムについてちょっと書いてみたい。第2次大戦勃発後、ドイツは天然ゴムの入手に苦労している。当然、戦前にある程度備蓄していたであろうし、独ソ戦が勃発するまではシベリア鉄道を使って入手もしていただろう、そしてこの本で知ったのだが、海上封鎖突破船が4万4000トンというかなりの量を運び込んでいる。

 じゃあ足りたのかといえば合成ゴムを合わせても、やはりたりなかったのである。よく知られている事だが、戦車の転輪のゴムさえ不足し、戦中に完全鋼製化されている。ドイツといえば合成ゴムだが、原料が人造石油と重なるし、合成ゴムと代替出来ない物もある。特に航空機用のタイヤは合成ゴムではだめなようである。

 この本にも少し触れられてるのだが、Uボートの蓄電池の容器の材料に「硬質ゴム」すなわち「エボナイト」が使用されていた。エボナイトとは天然ゴムあるいはスチレン・ブタジエンゴム(SBR.1933年ドイツのIG社で開発、通称ブナS、1943年ドイツ国内で11万トン生産)などの合成ゴムなどに多量の硫黄を加えた加硫ゴムで、長時間加熱して得られる樹脂状物質だ。日本でもエボナイトを使って蓄電池の容器を作っているのだが、まだ、潜水艦に使われていたという資料には出会っていない。

 Uボートの本といえども、およそ人に愛されることないいかがわしい(いやらしい)趣味を持った田舎のオッサンの手に掛かると、このような読み方をされるのである。
 ところでゴムといえば、今シーズン買ったばかりの新製品スタッドレスタイヤ、テレビのCMではピタッと止まるのだが、本当によく滑るのである。

  参考文献
 「AXIS SUBMARINE SUCCESSES
   1939-1945」 JURGEN ROHWER
 「横浜港ドイツ軍艦燃ゆ」石川美邦著
   木馬書館 1995年8月15日発行
 「南海のドイツ海軍 (Uボート997所収)」横川文雄著
   朝日ソノラマ 昭和59年2月15日発行
 「ゴム及びエボナイト配合」森山藤吉郎著
   厚生閣    昭和10年1月15日発行
 「ゴムのおはなし」 小松公栄著
   日本規格協会 1993年3月5日発行
 「電池」  槇尾栄著
   修教社    昭和27年2月20日発行

付録その2

鐵興社35年史
     株式会社 鉄興社
     昭和36年10月1日発行

 戦前の関東以北は、不毛の地で何もないと思っていられる人も多いと思う。現代でも、私のごく身近に「北海道は人の住む所ではない。」と公言なされていらっしゃる方が居るのは、実に困ったことである。しかし、戦前、戦中、東北に私にとっては味の有るものを作っていた会社があった。戦前、東北は「冷害」と「娘の身売り」だけだったのではない。
それが上記の鉄興社だ。
 鉄興社は昭和の初め、東北地方の豊かな自然が生み出した水による水力発電の余剰電力を使い、フェロアロイを作り始めた。鋼(はがね)を製造する際に不純物を抜き取ったり、元素を添加する目的で鉄を含んだ各種の合金を使用する。この合金をフェロアロイという。なお我が国では合金鉄あるいは鉄合金と呼んでいた。
 鉄興社はフェロアロイの中でもフェロマンガン、フェロシリコン、フェロクロムを製造していた。これらは装甲板、砲弾、各種特殊鋼に使用され、極めて重要な物であった。
 地味で余り取り上げられることのないが、各種工業生産にとって欠かせないソーダ類の生産も行っていた。ソーダは塩を電気分解して作り、風防用ガラスであるアクリル酸樹脂の生産に必要な青化ソーダもここで作られていた。
 電力と石炭と石灰石で作るカーバイトも製造しており、カーバイトからの各種 有機化学合成を行っていた。ブタノール合成からイソオクタンの製造も計画したが、頓挫した。また、カーバイト由来の酢酸から酢酸繊維素を作っていた。酢酸繊維素から人造羊毛(アセテート)を生産した。
昭和19年陸軍の要請により、ドープ塗料(酢酸繊維素系)の製造が始まったが、昭和20年になるとなぜか使用されなくなってしまった。
 電気炉を使用した製鉄も行い、砲弾の弾帯の銅の代用になる純鉄も生産した。
 他にも「秋水」用の過酸化水素の製造計画など実に興味深いものがある。もし、どこかの図書館で見かけたら本書を一読することをお薦めする。

 最後に,東北、岩手県が生んだ時代を超越した童話作家をご存知だろうか。締めとして、彼のごく身近に浮遊していた人間の詩を書き記しておこう。

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ
   雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
   丈夫ナカラダヲモチ
   慾ハナク
   決シテ怒ラズ
   イツモシズカニワラッテイル
   一日ニ精米一合ト
   食パント少シノオカズヲタベ
   アラユルコトヲ
   ジブンヲカンジョウニ入レズニ
   ヨクミキキシワカリ
   ソシテワスレズ
   月寒ノケンタノ側ノ
   小サナコンクリートノマンションニイテ
   東ニ未見ノ資料アレバ
   行ケナイノデジット我慢シ
   西ニ大砲に憑カレタ課長アレバ
   行ッテワカラナイコトヲキキ
   南ニ貧乏デ死ニソウナ人アレバ
   行ッテソノ蔵書ヲ安ク買イ叩キ
   北ニ零戦ノ製造番号ニ悩ム人アレバ
   ツマラナイカラヤメロトイヒ
   金欠ノトキハナミダヲナガシ
   質問サレタラオロオロアルク
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   釣リバカ日誌ノハマチャンノヨウニ
   ワタシハナリタイ

付録その1

小国民理科の研究叢書
 「訂正版」 自動車の理科研究
          著作者 宇井 芳雄
          発行所 研究社
          昭和16年12月20日 初版発行
          昭和17年9月15日  第6版発行
          定価 1円50銭

 もう1月余りも休みがありません。。フラストレーションが溜まり気が狂いそうになったので、宿直明けの日、会社を抜け出し古本屋に行ってきました。
 生まれつき頭が悪いせいか、メカと電気の事はまったく理解できません。このまま放置していても構わないのですが、大家さんに怒られそうなので、少しは改善すべく、プリンスの知能程度に合致すると思われる上記の本を大枚500円をはたいて購入してきました。
 この本はすごい。当時の小国民は侮れません。「オクタン価」に「人造石油」ですよ。 どこかの質問コーナーでだいの大人が議論しているというのに・・・第一、人造石油の話の中で「直接液化法」「フィシャー法」「油母頁岩」の説明がでてくるのです。これを読んでいればどこかの質問コーナーで立派な解答者になれます。
 戦車の解説の所で次ぎのような文章がありました。
「満ソ国境ノモンハン事件を思っただけでも、ぐっと身の引きしまる思いがするではありませんか。」
 身を引き締めるのは「小国民」ではなく「陸軍関係者」ですね。

 などと、これから、ぼちぼち、プリンスの読んだ本を紹介していきますので興味のある方は覗いてください。

 では、話は変って、現代の小国民の話をひとつ・・・・・
 去年の暮れ、クリスマスの聖なる夜に、理由(わけ)有って親と暮らす事の出来ない子供たちの施設のクリスマスパーティーに何故か入り込んでしまいました。その中に小学校4、5年生の褐色の肌をした女の子がいました。普通であっても肌の色が違うというだけで、人間として区別される日本の社会で、親の庇護がないという事がどれほど辛いことであろうか、私はそっと下を向いてしまいました。
 私が料理を置いたテーブルの脇に立っていたところ、ふと気がつくと件の女の子が目の前にいました。その子はテーブルのチョコレートケーキを見ていました。
 そのチョコレートケーキにはありふれたクリスマスの飾りである「砂糖で出来たサンタさん」と「メリークリスマスのチョコレートプレート」が載っていました。私はア~と思い彼女にこう言いました「持っていったもん勝ちだよ」、そして彼女の皿の上に「サンタさん」と「メリークリスマス」を置いてあげました。自分が子供の頃、家族で囲んだクリスマスケーキ、ちっとも美味しくないのに「サンタさん」と「メリークリスマス」は欲しかった。彼女にはこの経験がおそらくないのでしょう。
 席に戻った彼女は一人、皿の上の「サンタさん」と「メリークリスマス」を見つめていました。

 「あなたはもうこの夜の事を忘れているかもしれませんね。でもおじさんはクリスマスの夜が来るたびに、クリスマスケーキを見るたびに、皿の上の「サンタさん」と「メリークリスマス」を目を輝かせて見つめていたあなたのことを思い出します。」