アメリカ戦艦の辿った道 4(戦艦vs航空機)

 三代にわたる共和党大統領の話ばかりしてしまいましたが、戦間期はやはり航空躍進時代です。戦艦の盛衰を語るなら航空機の話もしなければなりません。ここを通り過ぎてしまうと1920年代からの20年間、アメリカ戦艦を脅かした第一の敵は航空機ではなかったという話をしても説得力がありません。

 1921年7月、ミッチェルの爆撃実験は外の世界にとっては大きな評判となりましたが、海軍にとっては納得の行かないものでした。鹵獲戦艦「オストフリースラント」に投下された爆弾は第一日目に重量230ポンドから2000ポンドで合計69発、そのうち16発が命中、第二日目に1000ポンド爆弾6発中3発命中、2000ポンド爆弾は6発投下され命中弾無し、至近弾3発という結果です。その結果「オストフリースラント」は沈没しますが、「停止した無人の戦艦を袋叩きにすれば沈むのが当然」という海軍の反論はあまり相手にされません。一般の目に「爆弾があたれば沈んでしまう」ことを強烈に印象づけた点でミッチェルの目論見は100%達成されたといえます。

 しかしミッチェルの爆撃実験はいかに宣伝臭くとも実験は実験ですから、当然のことながらそれを検証するために海軍の手による実験が行われます。1924年、アメリカ海軍は無線操縦された「アイオワ」を標的に爆撃を行い8発投下して2発命中を記録、海の向こうのイギリス海軍は「アガメムノーン」を使って同様の実験を行って114発を投下して命中弾皆無という成績でした。航行中の戦艦を爆撃するのは無理ではないが難しいことがわかってきますし、ミッチェルがやったような当時としては化け物のように大きい2000ポンド爆弾を搭載する爆撃機を運用することの困難さも実感されています。ミッチェルは2000ポンド爆弾よりも大型の4000ポンド爆弾を推奨していましたが、将来開発されるだろうスーパーチャージャー付の爆撃機でさえ高度8000フィートから2000ポンド爆弾1発を投下することしかできない見通しです。しかも鈍重低速の爆撃機は対空砲の良い標的でもあり、高度4000フィート程度の爆撃高度では被弾率75%と判定されています。

 何よりもアメリカ海軍はこれから「レキシントン」「サラトガ」が完成するところでしたし、これらの空母が500ポンド程度の中型爆弾を搭載する攻撃機を定数一杯搭載していてもせいぜい70機から80機です。条約一杯に空母を保有し、全機を爆撃機としたところで一度に葬れる戦艦の数は知れています。一方アメリカ海軍の戦艦主砲は平時の演習成績10%(19000フィートから20000フィート)から戦時には3%前後と予想されていましたから、戦艦と航空機とどちらが優位か、という問題では明らかに「現状では戦艦の破壊力が圧倒的」という答えになります。

 ただ戦艦にとって、脅威となり得るものが一つあります。それは航空魚雷です。爆弾に対してポストジュットランド型戦艦は現状の対艦爆撃に耐え得ることを証明できたし、条約の制限から戦艦部隊を葬り去るような多数の空母部隊は実現できません。けれども魚雷に対しては条約によって進化の止まった水中防御には荷が重いかもしれないのです。そこでさらに実験が続けられます。1916年度計画の未完成艦「ワシントン」を利用して雷撃実験を行い、1916年度計画艦は8本の連続命中に耐えるという結論を得ています。この結果は海軍を満足させましたが、ただし8本の魚雷が命中しても戦闘を継続できる訳ではなく、魚雷のほうが爆弾よりも大きな脅威であることが確認されています。

 こうした実験は海軍航空の有効性を検証するために海軍部内に設けられた特別政策委員会の下で実施されたものですが、海軍部内の委員会の結論と外部の評価は食い違っています。海軍の外部から寄せられる「将来、航空機が発達すれば大型爆弾をより高高度から投下され、水平装甲も破られるのではないか」といった疑問に対して特別政策委員会は水平装甲を強化することによって将来の航空機が現状より30%の性能向上を果たしても戦艦の地位は揺るがないと結論しますが、委員会の答申はあまり説得力を持ちません。

 なぜならそんな実験と論争が行われた1920年代前半を通じてアメリカ海軍は戦艦擁護の姿勢に凝り固まる余り、戦艦を脅かす存在となる可能性のある海軍航空を不当に抑圧しているとの疑念が高まっていたからです。しかしアメリカ海軍にとっては現在から近い将来にかけて考え得る戦闘で戦艦を主体とせざるを得ないのは自明のことで、航空の将来性は確かに存在しても現状の航空機とその運用基盤を考慮すれば海軍航空が威力を発揮するのはもう少し先と考えていただけです。ここで大切なのは当時、「戦艦という兵器に対する風当たりがそれだけ強かった」という事実です。

 海軍の特別政策委員会の「不公平」な答申に満足しないクーリッジ大統領はアメリカの国防に対する航空兵力の有効性を検討するために、今度は民間出身者からなる諮問委員会を設けます。銀行家のモローを中心としたモロー委員会です。この委員会は海軍航空の独立関しては「メリットなし」としていますが、陸海軍の航空隊に対して多年度にまたがる航空機取得予算を認めています。海軍航空隊は1000機の兵力をモロー委員会によって予算化され、航空部隊の地位を向上させる目的で空母の艦長は航空出身者のみを任命することなどが決定していますが、こうしたモロー委員会の決定にも海軍の反対論が巻き起こっています。

 けれども海軍中枢と政府の間で戦艦vs航空機論争が繰り広げられる中で、現場の艦隊指揮官達はそんな論争の行方とはまったく別に一つの結論に達しつつありました。それは「空母がなければ艦隊決戦は勝利できない」という認識です。航空機が戦艦を撃沈できようができまいが、海戦で敵空母を撃破してしまえば味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。そして戦艦を撃沈できるかどうかは別として爆撃、雷撃も自由に実施できます。

 こうして「空母は敵空母を発見次第、敵戦艦ではなく敵空母に対して攻撃隊を指向する」という海戦ドクトリンが確立され、マニュアル化されます。1930年代に日本海軍が強く意識していた「アメリカ海軍の制空権下での艦隊決戦という概念」とはこうした考え方です。海戦で空母が無ければ勝てないことは空母を含む艦隊の演習を繰り返すだけで確信される極めて明快で誰もが理解できる事実でした。海軍中枢と政府との間で交された「戦艦vs航空機」などといった派手な議論は現場の艦隊にとってはどうでも良かったのです。

3月 22, 2009 · BUN · One Comment
Posted in: アメリカ戦艦の辿った道, アメリカ海軍

One Response

  1. アラスカ - 3月 22, 2009

    >>味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。
    初期の空母の存在意義で索敵が大きな割合を占めていたわけですね。
    「索敵」の事は最近考えていたことがあるのですが、ふと面白いことに気づいた事があります。
    人類がエアパワーを始めて手にしようとした時、それは「高いところに上ってより広い視界を得よう」として行われたのです。
    つまり人類が「情報を手に入れるために(見るため、もちろん戦場での索敵も含まれます)」に気球を作ったがエアパワーの始まりだったのです。

Leave a Reply