アメリカ戦艦の辿った道 3(ロンドン会議)

 1920年代前半、共和党政権下での国防方針によって押さえ込まれ、ミッチェルを筆頭とする陸軍の航空派にも無用の長物扱いされて激しく攻撃された戦艦部隊はまったく四面楚歌の状態にあります。大戦後初の共和党大統領ハーディングの後をついたクーリッジもその政策を100%継承した上で、条約下の建艦競争が戦艦から巡洋艦に移転することを警戒してさらに海軍に対する抑圧を強め、1926年に議会で承認された10000トン級巡洋艦3隻の建造さえクーリッジは延期してしまいます。戦艦の次は巡洋艦規制へと向かう訳です。ロンドン会議で補助艦艇の制限が持ち出される下地ができ始めていますが、そうでなくても共和党政権が実験を握った1922年度から1932年度までの期間に認可された31隻の軍艦建造計画のうち、実際に建造着手されたのはたった10隻に過ぎません。

 このような極端な建艦抑制政策によって共和党政権がどんな成果を上げていたのかを知るにはクーリッジの任期中の1927年に開かれたジュネーブ会議の結果、クーリッジの意に反して下院を通過してしまった建艦計画が参考になります。この計画案では戦艦の新規建造こそ含まれないものの5隻の空母、25隻の巡洋艦、32隻の潜水艦を含む71隻の建造が盛り込まれ、維持費を含まない建造費は7億4000万ドルに及びます。この計画案は上院で保留され最終的に延期されてしまったものの、アメリカが建艦抑制政策でどれだけの節約を成し遂げていたかがわかります。逆に言えば大戦後のアメリカはこれだけの建艦計画を実施する実力を持っていたということで、八八艦隊の国との事情の違いがここからもわかります。こうしたクーリッジの政策を受け継いで1929年に大統領となったのがフーバーです。

 フーバーはより明確にアメリカの勢力圏を意識していました。1931年の満州事変に際しても日本の行動がアメリカ国民の自由を脅かすものではなく、経済的にも道義的にもアメリカ国民がそのために血を流す意義はないと述べているほどです。そしてハーディング、クーリッジの閣僚として商務長官を務めてきたフーバーは海軍軍備の抑制を元商務長官らしくさらに論理的なものに変えようとします。トン数と主砲口径を軸に行われてきた軍備制限をその艦の総合的性能によって評価することでより実効のある制限を実現したいという意欲を抱いたフーバーは、軍艦の戦闘能力を主砲口径、装甲方式、速力、艦齢などによって数値化する方式を推奨し始めます。砲艦外交を抑制し中南米諸国に対しても融和策で臨んだフーバーが単純な平和主義者ではないことが、このような妙に凝ったやり方からも感じられます。

 こうしたフーバーの発想に同調したのが当時のイギリス労働党内閣の首相ラムゼ- マクドナルドで、マクドナルドは1929年9月に訪米し、フーバーに自身の軍縮案を示します。その内容は新造戦艦1隻のトン数制限を35000トンから25000トンに縮小し、主砲口径も現状の最大16インチから12インチに抑制した上で艦齢の標準も現行の20年から26年に延長するというものです。これは事実上、戦艦という艦種の段階的廃止を意味するもので、事実、フーバーも戦艦の全面的廃却を話題に上げたといわれています。両者とも戦艦という兵器がもたらす軍事的効果に対して何の魅力も感じていないことがわかります。大国間での合意さえあれば戦艦という非効率な兵器を手放せると考えているのです。そして意気投合した彼等は戦艦のみでなく、戦艦の戦いを補助する航空母艦の保有量も135000トンから120000トンへと削減することを話し合います。ワシントン条約下で戦艦に代わってミニ建艦競争を引き起こした「条約型巡洋艦」に対する制限だけでなく、空母、潜水艦、駆逐艦に及ぶロンドン会議の下地がここで揃うことになります。このようにロンドン会議の背景をなしたものは、やがて海軍軍備の枠組みそのものを変容させようという理想主義的発想でしたが、当時の三大海軍国の一つでありながらも日本はこうした事情をほとんど察知できず、単純な危機感から何が何でも補助艦艇比率を10:10:7に持って行くことを主眼に交渉に臨んでしまいます。

 いろいろと紛糾しながらも何とかまとまったロンドン条約の内容は日本海軍部内では補助艦比率対米7割が実現できなかったことで圧倒的劣勢につながると判断され統帥権干犯論まで飛び出すほどの批判を生んでいます。しかしそうはいってもロンドン会議でアメリカとイギリスが、そして特にフーバーが照準を定めていたのは「戦艦に代って建艦競争を巻き起こした巡洋艦」でしたからそこは譲れる訳がありません。その代わりにアメリカとイギリスは日本に対して潜水艦保有量同等という最大限の譲歩を行っています。52000トンの保有制限枠と個艦の最大トン数2000トンという規模はアメリカにとって西太平洋から行動できる最小限度のものでしかありません。ドイツのUボートばかり見ていると惑わされてしまいますが、太平洋で行動する長距離潜水艦は当時であってもさらに大型艦である必要があると考えられていましたから、日本が戦時中に建造した「特型潜水艦」伊400などは対米戦用潜水艦としてはあって然るべき規模の船だとも言えます。それを2000トンに規制し、保有量を対等としたのです。しかしその真意は日本には伝わりません。

 フーバーはロンドン条約を批准するにあたり、この合意によってアメリカは10億ドルの財政負担から逃れることができたと主張します。フーバーは1920年代好況期の最後に就任した大統領ですが、ロンドン会議の前に1929年の株価大暴落によって恐慌へと発展しつつある国内経済情勢に直面したことで、海軍軍備をさらに抑制する政策を進め、1931年度の海軍予算の大幅削減に加え、1933年度までの新規建造着手抑制を打ち出して、アメリカ海軍の憎悪の的となります。そうはいってもさすがのアメリカでも長期化、深刻化する不況の中ではたとえ大統領の政策がどうであれ、大量の軍艦建造などはとても許されない状況が訪れていたのです。長期化する不況で税収が落ち込めば財政も引き締めるのが当然の政策だったからです。アメリカ海軍の自覚するところとしては、状況はもはや「絶滅の危機」にまで深刻化していました。

3月 21, 2009 · BUN · 8 Comments
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8 Responses

  1. アラスカ - 3月 21, 2009

    >>軍艦の戦闘能力を主砲口径、装甲方式、速力、艦齢などによって数値化する方式
    これはマクナマラのやり方の先駆けかも知れませんね。

  2. BUN - 3月 22, 2009

    アラスカさん
    フーバーのやり方は19世紀中からアメリカ海軍がやっていた評価方式と似ているんです。フーバーが軍艦音痴じゃないことを示しているように思います。

  3. アラスカ - 3月 22, 2009

    >>19世紀中からアメリカ海軍がやっていた評価方式
    そもそもアメリカ人はこういうやり方が好きだったわけですか。
    >>フーバーが軍艦音痴じゃないことを示しているように思います
    なるほど。

  4. 高村 駿明 - 3月 30, 2009

     いつもお世話になっております。こちらでは初めまして。

     「アメリカ戦艦の辿った道6」まで、大変興味深く拝見させて頂きました。政治と軍事が決して切り離せないことが実感できる内容で、勉強になりました。どうもありがとうございます。
     米英は「ロンドン会議の背景をなしたものは、やがて海軍軍備の枠組みそのものを変容させようという理想主義的発想」という観点から、1930年のロンドン条約を推し進めていたということも、理解できました。

     興味深いのは、1930年時点では7割だ統帥権侵犯だと騒いでいた日本が、1934年の第二次ロンドン条約予備交渉においては「理想主義的内容」に立脚したような主張をしており、逆に米英は総保有トン数こそ減少しているものの、「14インチ、12隻」「12インチ、15隻」といったむしろ保守的な主張をしていることです(英国の重巡・潜水艦廃止主張が保守的とは言い切れないかもしれませんが)。
     第二次ロンドン海軍軍縮会議前に、米国が条約制限までの海軍拡張を開始したことも、不況対策だけではない、何らかの政治的思惑があるのかと感じました。この辺りの流れはどのように捉えたものでしょうか。

     ご多忙のところ、大変お手数ですが、お時間のある時にでもご教授頂ければ幸いです。

  5. BUN - 3月 31, 2009

    高村さん

    いらっしゃいませ。
    軍縮条約に関する日本側の考え方は広く紹介されている通りです。残された記録に「この条件は交渉用に持ち出すもので本意ではない」といった注意書きがあるように各国代表の提案には当然、駆け引き的要素が含まれます。

    ただ、交渉の流れだけを追って行くと何でそのような提案が行われるのかいま一つ腑に落ちない部分がありますよね。どこかのピースが欠けているので全体がつながらない、といったイメージです。

    そこには「戦艦は高価なばかりで戦争の役に立たない。」「戦艦廃止も現実的な選択肢」という認識を組み込むと見晴らしが良くなるように思います。戦間期であっても海軍軍備に関する考え方は大艦巨砲主義オンリーとは限らないということです。それができていないと軍縮交渉はやたらと勿体ぶった古狸同士の手練手管にしか見えませんものね。

  6. 高村 駿明 - 3月 31, 2009

     どうもありがとうございます。
     ご教授された内容を鑑みて、考えたさにい、少なくとも1934年の時点では「戦艦が高価で廃止も現実的」という認識が、ある程度日英米で現実的な認識になっていたのだろうな、という感じは受けました。
     交渉用の条件提示とはいえ、相手が飲んだら実現してしまうものですから「実現しては困る内容」では提案できないわけですからね。

     日本もそこまで至っていたのに、3年後に大和型戦艦を建造してしまうわけですから、海軍軍備とはわからないものですが。 

  7. どん - 12月 6, 2009

    はじめまして。

    >逆に米英は総保有トン数こそ減少しているものの、「14インチ、12隻」「12インチ、15隻」といったむしろ保守的な主張をしていることです
    >米国が条約制限までの海軍拡張を開始したことも、不況対策だけではない、何らかの政治的思惑があるのかと感じました。

    これについては、ドイツ再軍備の影響があるのではないでしょうか。

  8. BUN - 12月 8, 2009

    どんさん

    はじめまして。
    この時期、まだドイツは再軍備を開始していないですよね。

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