ツェッペリン飛行船部隊の顛末

 ドイツでの軍用飛行船の発達は偶然ではなく、ドイツ帝国陸軍が航空軍備の方向性として確信をもって選択されたものであることを前回紹介しましたが、飛行船の建造、格納庫など支援設備の充実、乗員の養成などに莫大な費用がかかる飛行船部隊の建設は計画通りには行かず、第一次世界大戦開戦時に陸軍が保有していた軍用飛行船はたった10隻です。
本来ならば長距離戦略偵察任務に加えて、開戦と同時に敵軍の拠点または重要都市を爆撃することで敵軍の混乱と士気の崩壊を狙う戦略爆撃の源流のような任務を予定されていたドイツ飛行船部隊は開戦後、飛行機部隊の大活躍とは対照的な苦境に陥ります。

 爆撃や偵察に出撃したドイツ軍用飛行船は参謀本部が当初指摘していたように地上からの射撃によって容易に損害を受けてしまうまったく脆弱な存在である上にその活動が天候に大きく左右されるため、開戦から2ヶ月の間に実戦に投入された7隻のうち5隻が破壊(そのうち4隻が地上砲火によるもの)されてしまい、巨大軍用飛行船の活動は暗夜に限られるようになります。しかも飛行船部隊への補充は1914年中、たった3隻でしかありません。

 軍用飛行船が戦場で活動するためには地上砲火や敵軍用機に妨害されない高度まで上昇できる巨大な飛行船を建造する必要があると考えられ、航続力、搭載量の増大をも目的としてドイツ軍用飛行船は巨大化を続け、容積30000㎥クラス、発動機4基クラスに代わり容積60000㎥、発動機6基クラスの建造が開始されます。

 けれども1915年中も損害は続き、巨大飛行船は東部戦線、バルカン戦線に振り向けられることになり、飛行船の飛行高度に軍用飛行機が上昇できるようになってきた1916年には西部戦線での飛行船作戦が中止されてしまいます。膨大な費用と手間が掛かる軍用飛行船についてドイツ陸軍は失望を隠さず、もっと安価で高性能な軍用飛行機の量産に全力を注ぐようになりますが、陸軍が「航空機にしてはあまりにも高価で、そのうえ脆弱で扱いにくい」と判断された飛行船について、全く別の評価を下していた組織が存在します。それはドイツ海軍です。

 ドイツ海軍はツェッペリン飛行船の巨大で高価な船体や、その維持と運用に掛かる手間と費用について陸軍ほどには気にしていません。陸軍が巨大軍用飛行船を安価で簡便な軍用飛行機と比較して「高価で扱いにくい」と評価していたのに対して、海軍は巨大軍用飛行船を「安価な偵察巡洋艦」と認識していたのです。比較対象が違えばこれだけ評価が異なるという好例かもしれませんが、元々高価で維持に手間も人手も掛かる大型軍艦よりもはるかに高速でしかも安価な巨大軍用飛行船を艦隊の眼として運用すれば極めて有効であると結論します。しかも海軍はイギリス本土沿岸の軍事施設に対する爆撃作戦にも積極的です。陸軍が匙を投げかけた後も海軍の飛行船に対する期待は衰えません。

 海軍が希望していたイギリス本土沿岸爆撃作戦は1915年1月にヴィルヘルム2世の承認を得て開始されます。海軍のツェッペリン飛行船はイギリス軍機よりも高高度を飛ぶことができましたが、やはり悪天候に弱く、地上での火災も発生、冬の初めには活動が衰え始めます。海軍も飛行船の扱いにくさをようやく認識するようになりますが、洋上偵察能力は捨て難いことも同時に確認されています。

 労多くして実りの少ないイギリス本土への爆撃作戦はそれでも戦争からイギリスを脱落させることを最終的な目標として辛抱強く継続され、陸軍は爆撃手段をツェッペリン飛行船から大型爆撃機に転換し、海軍はそのまま飛行船による爆撃を継続します。対イギリス戦略爆撃作戦が中止されるのは戦争最後の年、1918年の5月です。ドイツ陸軍は西部戦線での乾坤一擲の攻勢に伴う航空兵力集中のために爆撃機を引き上げ、海軍飛行船隊は活動を中止します。

 莫大な予算をつぎ込んで継続された対イギリス戦略爆撃は結果としてほとんど効果を上げていません。爆撃飛行船の隻数、爆撃機の機数が少なく爆弾投下量がわずかなものですから当然といえば当然ですが、ただ少数の飛行船と大型爆撃機によって多数のイギリス戦闘機をイギリス本土に拘束することができた点ではある程度有効と言えます。ドイツ軍にとって西部戦線上空での数的劣勢は極めて深刻でしたから、その効果は馬鹿にできません。

 とはいうものの、イギリス本土爆撃が継続された理由を納得するには西部戦線での航空戦について連合軍とドイツ、オーストリア軍との間で繰り広げられた航空消耗戦の様相に触れる必要があるでしょう。

11月 25, 2008 · BUN · 6 Comments
Posted in: ドイツ空軍

6 Responses

  1. king - 11月 28, 2008

    今回も楽しく読ませて貰いました。軍事物はさんざん読みましたが、文章が大変読みやすです。プロの作家か学者さんか何かなんでしょうか。

  2. マンスール - 11月 28, 2008

    ドイツ海軍の飛行船による最後のイギリス爆撃は1918年の8月ですね。数隻が同時に出撃しているので、ここまでは戦略爆撃の範疇に含めて良いと思います。このときに海軍飛行船隊の責任者だったペター・シュトラッサーが戦死して、その後は海軍飛行船も偵察任務のみに従事して終戦を迎えています。
    ドイツ海軍には固定翼機の部隊もあったわけで、それと飛行船隊との関係が良くわかりません。まったく性格のちがう機材で、地上要員や空中勤務者に要求される任務内容も別なので、ぜんぜん別系統の組織だったのでしょうか。

  3. BUN - 11月 28, 2008

    kingさん
    雑誌原稿では嫌われる傾向のある「ですます」調で話し言葉に近いかたちでなるべくやわらかく、しかも硬い話をする、というのが本ブログの方針です。雑誌媒体に書けない落書きのような無駄話ですので「そういうものか」と受け止めて、何かのヒントにして頂ければ幸せです。

    マンスールさん
    はい、失礼申し上げました。
    罰として修正せずに晒すことにいたします。
    海軍水上機は西部戦線の最北部を受け持つ偵察、爆撃隊としても活躍していますね。指定工場も陸軍とは別で、どこかの帝国の陸海軍航空隊を見るようです。

  4. 1GB - 11月 30, 2008

    初めまして、でよろしいんでしょうか?
    War Birdの掲示板では大変お世話になりました。
    同じBUN様ですよね。
    偶然、貴サイトを見つけ大変喜んでしまいました。
    すごい!すごすぎます。

  5. BUN - 12月 1, 2008

    1GBさん
    ようこそいらっしゃいました。
    絵も無く写真もなく、ただ文章だけがどこまでも続く地味なブログですが、どうかご辛抱の上お付き合いください。

  6. MIT - 11月 18, 2009

    はじめまして
    ツエッペリン軍用飛行船に関心があります。
    詳しい写真・図解の掲載された図書でもないかなあと思っています。
    ゴンドラや対飛行機用銃座、爆弾焼夷弾等の外観がたくさん載っているものがよいのですが…。

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