勝ったのは誰か?
イギリスの航空機工業界は1930年代半ばからの大増産に対応しきれず、1937年度には生産能力の限界に達してしまい、完成機数の伸びが鈍化してしまいます。受注が増えれば操業を強化して夜勤体制を採り、従業員を増やしてどんどん [...]
イギリスの航空機工業界は1930年代半ばからの大増産に対応しきれず、1937年度には生産能力の限界に達してしまい、完成機数の伸びが鈍化してしまいます。受注が増えれば操業を強化して夜勤体制を採り、従業員を増やしてどんどん [...]
イギリスの飛行機増産計画について書いてきましたが、グループ化や「シャドー」計画のような発想は他国でも見ることができます。
たとえば日本の場合、日本海軍は支那事変勃発と共に飛行機増産時代を迎えますが、それと同時にある機 [...]
グループ化と「シャドー」計画は軍備計画の達成には十分に貢献していますが、製造会社のグループ化には機種の標準化という功罪相半ばする特徴があります。英国の多くの製造会社は戦時中、自社設計の新型機ではなく他社設計の現有機の量産 [...]
それまでの拡張計画は基本的に対独抑止力の形成を目標とした平時の計画でしたが、国際情勢の緊迫に対応した「スキームLは1938年から1940年度までに本国空軍を2373機に強化、年間飛行機生産数を6000機に引き上げる完 [...]
英国の航空軍備拡張計画は1934年にスタートしています。
それまで英国国内向けの飛行機生産は1933年度の発注数で663機でしたが、1934年度には新たな中期の増産計画が策定されます。これが「スキームA」と呼ばれる計 [...]
第二次世界大戦が勃発した1939年の時点でアメリカの航空機製造会社はどんな企業で構成されていたのか、ふと気になって調べてみると、意外なことがわかります。
第二次世界大戦開戦直前の時期にアメリカの航空機製造会社で力を持って [...]
イギリスの航空エンジン生産は「シャドー」計画が持ち上がった1936年には年間2248基でしたが、1938年には2倍以上の5431基となり、1939年にはさらに倍以上の12499基に達して第二次世界大戦を迎えます。当然のこ [...]
「シャドー」計画に対して消極的な態度を示して、自社のダービー工場を拡張することで軍拡時代初期の増産要求に対応したロールスロイスは「ケストレル」に代わる新鋭発動機「マーリン」の量産で壁に突き当たってしまいます [...]
世界大戦後に流行した航空主兵論、空軍独立論の中でドーウェと並び称されて広く知られているのに実はまったく読まれないのがミッチェルです。軍事における飛行機の潜在的能力を強調して空軍独立を説き、飛行機で軍艦を爆撃してみせたら [...]
1920年代のイギリスで軍用航空発動機のトップメーカーはネピアでしたが、民需の航空発動機市場を握っていたのはブリストルです。ロールスロイスが「ケストレル」のヒットによって巻き返したことで1930年代の軍用航空発動機市場は [...]