冬戦争のソ連空軍

1936年の赤軍野外教令はソ連軍の機動突破作戦の基礎を築き、それを実施できるだけの軍備増強が開始されます。当時の陸戦理論でも航空優勢は必須の条件ですからソ連の大陸軍が機動突破作戦を行って戦争を短期に終える思想を堅持している以上、ソ連空軍もまた巨大空軍でなければ話になりません。圧倒的な砲兵火力の集中と航空攻撃による敵全縦深の制圧が機動突破作戦の要ですからソ連の航空戦理論も大兵力集中主義となります。

 その割には手痛い敗北を何度も経験しているためソ連空軍を「質はともかく数をたのみの二流空軍」と印象付けてしまう部分なのですが、大兵力で敵を力攻めするのは何千年も前から人類が繰り返していることで、ソ連軍の大兵力集中主義とは戦争そのものを圧倒的な突破作戦の成立によってできるだけ短期で終わらせ、国家の損害を最少にすることがその目的です。

 このあたりを非常に明確に把握して理論化していたところが戦間期ソ連軍事思想の特徴で、同時期に発達したドイツやフランスの軍事思想と大きく異なる点は、その延長線上に戦争の勝利があったことです。

 フィンランド侵攻作戦も同じようにソ連流の軍事思想に裏打ちされた空陸一体のドクトリンに基づいて計画され、実施されています。ドイツが計画したならその半分程度、我が国軍であるなら1/4程度の兵力で始めかねない侵攻作戦を45万の陸戦兵力と700機の航空機で開始したのはそうした背景があるからなのです。
 

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

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