消耗と厳寒と死守命令が生む新戦術
1941年の冬、モスクワ攻略失敗後のソ連軍大反撃にドイツ軍が何とか持ちこたえたことはよく知られています。けれども消耗した戦力でどんな方法で耐えたのかが説明されることは殆んどありません。「ヒトラーの死守命令が下された」「 […]
8月 3, 2008
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Posted in: ドイツ軍の防御戦ドクトリン, 陸戦
「ハリネズミの陣」はなぜ生まれたか
電撃戦時代前半までのドイツ陸軍の防御ドクトリンは第一次世界大戦の遺産でした。戦車はあくまでも攻撃兵器として反撃フェイズで集中投入されるもので、敵の攻撃を受け止めるのも歩兵なら、打ち破るべき敵も敵歩兵でした。敵歩兵さえ殲 […]
8月 2, 2008
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Posted in: ドイツ軍の防御戦ドクトリン, 陸戦
塹壕戦ドクトリンと電撃戦ドクトリンの同居?
第一次世界大戦で生まれた「弾性防御」ドクトリンはドイツ陸軍の防御ドクトリンとして第二次世界大戦開戦まで受け継がれています。電撃戦と呼ばれた華々しい機動突破作戦を世界で初めて成功させたドイツ陸軍が防御面では前大戦の塹壕戦 […]
7月 25, 2008
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Posted in: ドイツ軍の防御戦ドクトリン, 陸戦
塹壕模様の存在理由
これまで主に攻撃ドクトリンを中心に紹介してきましたが、こんどはちょっとだけ、防御ドクトリンの変遷を追っかけてみたいと思います。 華々しい攻撃ドクトリンでさえ大きく誤解される傾向にありますが、ことに防御ドクトリンとな […]
7月 20, 2008
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Posted in: ドイツ軍の防御戦ドクトリン, 陸戦
世の虚しさを知る神よ
諸兵科協同を理想として連隊組織を廃して3つの戦闘団司令部を設けたアメリカ戦車師団は状況に応じて師団の兵力から適切な増援を受けて臨機応変に戦闘を行うことが建前でしたが、こうした組織は初めのうちはその方向に動いても時間が経 […]
7月 7, 2008
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Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦
凋落のTD大隊
北アフリカで大損害を出して評価を一気に下げてしまったタンクデストロイヤー部隊の編成計画は大幅縮小に転じます。当初220個大隊の計画だったものが即時146個大隊に縮小され、さらに1943年末には106個大隊となってしまい […]
7月 2, 2008
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Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦
兵器とドクトリン
ある兵器体系があればその裏にはその兵器を必要としたドクトリンが存在します。それは整理された公式ドクトリンとしてある場合と、未整理の経験知を集積した非公式ドクトリンとして育まれたものとがあります。 ひとつの兵器に現れた […]
7月 1, 2008
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Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦
牽引式対戦車砲の再評価
アメリカ陸軍戦車部隊がチュニジア戦で初めて実戦を経験し、その戦訓から編制の改変を迫られたのと同じく、戦車部隊の強力なライバルとして華々しく投入されたタンクデストロイヤー部隊も窮地に立たされます。 チュニジア戦初期に投 […]
6月 30, 2008
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Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦
Ju88計画の規模
ドイツに四発重爆撃機が育たなかったのは再軍備開始時から「ウラル・ボマー」として四発重爆撃機の開発を開始して、試作を続けた結果、性能的に満足し得る見通しがあった試作第二世代にあたるハインケルHe177計画に対して、強硬に […]
6月 22, 2008
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Posted in: 航空機生産
もはや「戦車」師団にあらず
戦車大隊の数を8個大隊から6個大隊に減らし、ハーフトラック化された機械化歩兵大隊と自走砲大隊を各2個大隊から各3個大隊に増加した1942年型戦車師団の編制は各兵科のバランスを改善し「Combined Arms Tact […]
6月 19, 2008
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Posted in: タンクデストロイヤーとは?, 陸戦