機動突破作戦への処方箋

 防衛側がどうにもならないはずの機動突破作戦にどうやって対抗するかを他国よりも早く考え付いたことはドイツ軍の大きな功績で、そもそも攻勢を掛けられてしまうからには状況は極めて悪いのが常ですが、それを何とかする方策をよくぞ練ったものであります。

 ドイツ式の防御ドクトリンは最前線の軽歩兵部隊と対戦車砲による防御線が薄く広がり、そこを突破されると強化された拠点と突撃砲などに支援された中核防衛線が敵を受け止め、さらに突破された場合に深部防衛線が敵の進撃を最終的に遅らせます。その間に作戦予備の機甲部隊が側面を攻撃分断して攻勢の鎌首を刎ねてしまうというものです。
 こうした戦術を実施するためには敵の突破が成功しても突破口両翼の防衛線を再強化して突破口の両肩とも言える部分を守り抜くことが重要で、突破正面を限定することで作戦予備の投入によって攻勢の首を断ち切ることができるのです。

 史実の突破作戦への対応が全てこのパターンを踏んでいた訳ではありませんが、概ねこうした手順を踏むことで敵攻勢に対抗したということで、ドイツ軍礼賛戦記に数多く残る苦労話、手柄話はこの防御ドクトリンの実施にまつわる現実的な困難と妥協、失敗談と成功体験を綴ったものになります。

 1930年代タイプの電撃戦にはこうした処方箋が極めて有効でした。そしてこの防御ドクトリンはドイツ軍にとっても終戦まで堅持され、大きな変革はありません。
 東部戦線の戦闘で「後手からの一撃」として知られる反撃パターンはこのドクトリンの反映で、ハリコフで大戦果を挙げたマンシュタインを含むドイツ軍高級指揮官達はこの方式にかなりの自信を持っており、(ヒトラーなどから)余計な干渉を受けずに作戦できれば勝てはしないかもしれないが、決して負けることは無かったのだ、という自負に繋がっています。

 しかし1944年型のソ連軍ドクトリンはその自信を昔の武勇伝に変えてしまいます。

4月 30, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 陸戦, 機動突破作戦の変遷

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