ドイツ式の機動戦

 ドイツ機甲部隊の機動戦とはどのようなものか、という話は繰り返し解説されているので誰でもその概要を思い浮かべることができると思います。
 非常に大雑把に言えば、航空、砲兵の支援下で突破した機甲部隊が敵の攻撃の弱い地点を探り当てて側面に構わずとにかく前進することで敵の砲兵と指揮系統を混乱させて戦線の崩壊へと導くといったもので、敵の防御縦深よりも機甲部隊の突破縦深が大きいことを頼りに敵の予備軍集中よりも早く致命的な成果を挙げてしまう速度戦が基本です。
 しかしこれも言うは易し、行うは難しで、従来の歩兵戦術では考えられなかった前線部隊の独断専行能力が求められます。「どこで何をどんなふうにやれ」と命じられるのではなく「何を成し遂げろ」という目的を示されてそれを実行できる前線指揮官の能力と権限が無ければこの手の機動戦は実施できません。
 ドイツ陸軍には1918年に経験した分隊単位が敵前線の抵抗の弱い部分を探り当てて個別に前進してゆく浸透戦術、戦闘群戦術の素養が受け継がれていましたから、1930年代の機動戦理論の展開に組織がついてゆけたのだと言われています。物ごとはもっと複雑だと思いますけれども大筋そうしたカルチャーが生きていたということなのでしょう。
 戦後のドイツ軍礼賛戦記もそうした語り口でドイツ軍前線将兵の素質を称えています。
 しかし戦闘群戦術は第一次大戦後、非常に有名で各国陸軍が採用しています。兵器や理論が旧式と評判の極東某国陸軍も支那事変勃発当初にこの戦術で上海近辺のドイツ式築城を行った防衛線を突破しています。現代陸軍の分隊に一丁ずつミニミがあるのは1918年攻勢の遺産なのです。そもそも近代戦は散兵戦術の導入以来、段々とこうした能力を充実させていなければ成立しないものなのかもしれません。
 では何で、ドイツ軍の攻勢のみが「電撃戦」として賞賛されるのか?他国の「電撃戦」すなわち、バルバロッサ作戦中期までの赤軍の攻勢やノルマンディでのモントゴメリーが実施した各突破作戦が軒並み失敗しているのにどうしてドイツ軍だけが実績を挙げられたのか、と言えば、それは第二次大戦初期の段階ではドイツ式の機動突破作戦に対抗する戦術理論が他国の陸軍に未成立だったこと、他の国の「電撃戦」が他ならぬ本家のドイツ軍を相手に試みられたことが挙げられます。
 戦争中期以降のドイツには「電撃戦」に対抗する戦術理論も育っていたのです。
 将兵の素質や組織論も確かに重要ですが、あるドクトリンの成立、未成立、それに対抗するドクトリンの完成、未完成が勝敗を分ける、と考えるほうがシックリ来るものがありますね。
 

4月 30, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: 機動突破作戦の変遷, 陸戦

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