空中補給作戦

 1942年4月にノビコフを空軍総司令官に昇進させたデミヤンスク包囲陣への空中補給妨害作戦はその後のソ連空軍の装備や戦術に大きな影響を与えます。デミヤンスクのような包囲が実現することは陸戦理論からは好ましいことですが、このような包囲陣がいつまでも生き残り続けてしまうと攻勢作戦全体にとってこれ程邪魔なものはありません。早いところ潰してしまわなければ兵力はとられるし、万が一、敵の包囲解除が100%成功したならその後の戦局に影響する重大事に至る可能性もあります。

 そのためにノビコフはデミヤンスクへの空輸妨害を最優先課題と認識して集中的な妨害を試み、1942年2月末までに265機の輸送機を撃墜しています。この戦いについてドイツ側から「空輸作戦は成功」と評価され、ソ連側も「空輸妨害は失敗」と判断していますが、空輸妨害が貫徹できなかったとはいえこの1941年~1942年の冬にこれだけの戦果を挙げ得たことが当時のソ連空軍にとって光り輝いて見えたのです。

 ノビコフは就任間もなく空軍の組織改革に乗り出して大兵力集中主義を徹底し、そのための戦略予備の構築に(南部戦線の苦戦をバックレながら)力を尽くします。そしてデミヤンスクに続く独軍大兵力の包囲が達成されたスターリングラードで再びドイツ空軍輸送機との対決をほぼ直接に指導することになります。

 ここでノビコフはスターリングラード周辺を4つのゾーンに分け、対空砲火と空中哨戒を分担させて組織的に輸送機の妨害を試みます。この妨害には飛行場への砲撃も含まれ、デミヤンスクよりも遥かに厳しい体勢で、輸送機の飛行ルート沿いには3箇所のレーダー基地が設けられて警戒にあたっています。

 ドイツの輸送機はレーダーに捉えられ、対空砲火に曝され、哨戒ゾーンで戦闘機に襲われ、包囲陣内の飛行場で常時滞空する戦闘機と爆撃機に攻撃されます。そして輸送機を狩り、その護衛機とも戦うために前線から集められた特別編成のエース飛行隊が全空域を遊撃するというオマケもつきます。(このエース飛行隊は機種改変を実施していてLaGG-3から無線完備のYaK-1装備となっています。ソ連軍がどの戦闘機をどう評価していたかが何となくわかります。)

 けれどもドイツ空軍のスターリングラード空中補給は最初の段階では成功します。理由は11月25日から11月30日まで「ソ連軍が空輸作戦の開始に気がつかなかった」からです。これはソ連軍がスターリングラードで大包囲を実現できたことに自分自身で驚いていたことの一つの証拠でもあります。ノビコフの空中包囲網は空輸開始に気づいてから、ノビコフの怒声と共に大急ぎで整えられたものなのです。「これが最重要任務なのだ」と。

 ノビコフがそう認識していたようにドイツ空軍もスターリングラードへの空輸を最重要任務と考えています。けれども戦況はこの上なく厳しく、しかもスターリングラードの第6軍の需要に応える輸送能力そのものも不足しているという悪条件を考えながらこのあたりの戦記を読み進むと「何でルフトヴァッフェはこんな作戦を安請け合いしたのか?」と不思議に思うのが当たり前です。そもそも包囲分断されたのは陸軍の作戦指導の結果ですし、空輸計画の無理は最初から目に見えていたのですから実に不思議です。

 こんな無謀で勝ち目の無い作戦にドイツ空軍が何の躊躇も無く乗り出した理由を考える時には、東部戦線での空軍の役割や、陸軍と空軍との関係に目を配る必要があります。東部戦線のような大規模な地上戦では陸軍と空軍の関係は極めて微妙です。

 陸軍は空軍の隷属的な支援を強力に求めますし、空軍はその拒否できない要請にどの程度応えながら、同時にどのように独自の作戦を実施してゆくかに悩みます。そんな関係の下で、もしここで空輸作戦を拒否していたら東部戦線といわずドイツ軍全体での空軍の地位はどうなっていたかわかりません。

 空軍の発言力の低下は空軍が近接支援任務主体の陸軍航空隊へと没落する可能性すら孕んでいます。ドイツ空軍はどんな時期でさえ独立空軍として戦略的な活動を目指していましたからこれはドイツ空軍という組織の解体を意味します。

 東部戦線という戦場では空軍の支援が無ければ陸戦の勝利は望めませんし、しかもその支援要求は膨大なもので、ドイツ空軍程度の所帯ではそれが極めて重荷なのです。まともに背負えば陸軍の奴隷でしかなく、背負わなければ作戦面での独立が危うい微妙な状況があればこそ致命傷を覚悟で取り返しのつかない戦力を投入する決断が下されたのです。

 この輸送作戦はまさにドイツ空軍の墓場で、戦争の帰趨を定めた戦いでした。世の中には「スターリングラード戦は致命傷ではなかった。その後の戦いが重要だった。」とする評価もあるようですが、それは陸戦から眺めた東部戦線のことで、東部戦線は空から眺めなければドイツ軍の事情もソ連軍の意図も十分に理解できません。

 独ソ戦のターニングポイントは本屋に並ぶ普通の戦記が主張する通り、ここにあったのです。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

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