空軍の「進化」

たしかに戦略爆撃は空軍の理想でしたが結局、机上の空論のまま何処の空軍も開戦劈頭の台爆撃を実施できなかった第二次世界大戦で、とにかく実行可能でまじめに取り組むべきは航空撃滅戦だった訳ですが、この航空撃滅戦に関して言えば、確かにバトルオブブリテンは英本土上陸作戦を前にした航空撃滅戦ですが、その後の戦いの中で一貫して重視され続けてはいるものの、どうもドイツ空軍もソ連空軍も、何となく連合国空軍も、必ずしも最重要、最優先の課題としていないように思えます。基本的な理念として極めて上位にはありますが、一位では無さそうです。

 今までに触れたソ連空軍などはその最たる例で、理論的には最先端を走っていたのに航空撃滅戦のための敵航空基地攻撃は終戦までかなり低調です。対するドイツ空軍も航空撃滅戦をきわめて重視していますが、ソ連軍と同じくそれよりも大切に考えていた課題があります。
それは地上軍への航空支援です。

 ドイツ空軍もソ連空軍もなぜ戦略爆撃でもなく航空撃滅戦でもなく地上支援を第一に考え、そこにリソースを投入したのでしょう。そして連合国空軍もまた第二戦線形成までの政治的な理由も含めて戦略爆撃を実施していますが、それでもなお、地上支援作戦の密度を上げねばならない大攻勢に際しては戦略爆撃を中止してそこへ集中しています。その理由は単に陸戦の展開上、必要が認められたからだけではありません。

 欧州で戦われた大規模な機動戦では、どちらかと言えば空軍の中枢が単独でただ頭の中で考えただけの戦略爆撃論や航空撃滅戦論と、今まで誰も実戦でやったことの無いそれらの理論を実施するためのドクトリンが持っていた密度に比べれば、陸上戦闘での機動突破作戦理論は桁違いな精密さと膨大な兵力を要求したからです。

 戦闘一般で常に理想とされながらも一番難しいのは他兵種との連携ですが、空陸一体の機動突破作戦という概念を実施に移すためにはとにかく組織と指揮系統を改革し、実施にあたる細かなノウハウを積み上げねばならない上に、どちらかといえば一発屋的な雰囲気のある空軍独自の戦争理論より遥かに高くつく、消耗の激しい分野であることも戦争の進展と共にあらためて認識されています。

 独軍は1942年のクリミヤ半島の戦いを教材に地上戦支援ドクトリンを再構築しますし、ソ連軍もまた1943年のクルスク戦を境にその手法を確立します。連合軍もシシリー島からイタリア南部の戦闘で新たな課題を解決してゆきます。それもこれも、狭い欧州戦線での大規模突破が実現すれば極端な話、「戦争はクリスマスまでに終わる」可能性が現実にあったからです。

 空陸一体の機動突破作戦という大規模な理論に組み入れられた欧州各国空軍は戦争の帰趨を決める決勝理論であるその体系を完成させ、現実に稼動させるために全力を挙げたので、他の重要な課題である戦略爆撃の実施や空軍にとって最も親しい航空撃滅戦の貫徹をしばしば後回しにしたということです。

 地上支援作戦とは一日に何度も出撃を繰り返し、対空砲火を冒して攻撃を実施し、それを妨害する敵戦闘機隊との制空戦闘が何日も続く消耗戦を意味します。しかもこの作戦は空陸一体で実施しますから空軍の都合で休む訳にはゆきません。このあたりは空軍が独自の任務と考えた「後から効いてくる」戦略爆撃や「敵の攻撃力の根本を叩く」航空撃滅戦とは異なり、戦局に即時即刻影響するからです。

 大規模な陸戦が無く、裸にしてしまえば航空基地の推進合戦だった太平洋戦争と大きく異なる点がここにあります。太平洋の戦いで陸戦といえば飛行場の争奪戦のことでしたから航空戦理論がそのまま全ての戦いを網羅できたので、空軍の戦いとして太平洋戦争を眺めると非常に見渡しがよくスッキリと理解できます。一方、欧州での戦争は大規模な陸戦が前提で、しかもその勝敗が戦争の行方に即時直接関係していたために航空戦理論がその中に取り込まれて霞んでいるのです。

 補給や総合的戦力に難があっても極めて活発に活動したドイツ空軍や最終的に大規模かつ緻密な組織を作り上げたソ連空軍が「所詮は地上支援主体の戦術空軍でしかなかった」という評価は極めて一面的です。むしろ第二次世界大戦で各国空軍が大きな出血と引き換えに体得したのはどちらかと言えばまさに政略的見地から漫然と継続された戦略爆撃ではなく、空陸一体の機動突破作戦を初めて実現するドクトリンとその実施ノウハウだったと言うことさえできます。「空軍の進化」とはそんな側面を持っています。

3月 7, 2008 · BUN · No Comments
Posted in: ソ連空軍, ソ連空軍復活の背景

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