戦わずして破綻に直面する独空軍

 1930年代後半、欧州諸国の空軍はナチスドイツの脅威に対抗すべく再軍備に取り掛かっています。しかしこの時代は世界恐慌直後でもあり、しかも航空軍備は陸軍の拡充よりもお金が掛かります。そのためにイギリスもフランスもポーランドも航空軍備が思うように進みません。空軍装備近代化プログラムの開始時に世界恐慌に呑み込まれてしまったフランス空軍も悲劇なら、ドイツの侵略が目前と思われた時点で外貨が尽きてしまったポーランドもまた悲劇です。しかし、欧州諸国が脅威とみなしていたナチスドイツの軍事力の中核(絶対に「戦車」なんかじゃないですよ)であるドイツ空軍はどうだったのでしょう。

 ドイツの再軍備宣言は1935年ですが、水面下での再軍備はナチス政権の登場と同時に着手されています。しかし世界恐慌の影響でドイツ国内の航空機工業はほぼ壊滅状態にあり、急速な航空軍備の拡大は極めて困難な状況にありました。ドイツ国内の航空機工業を拡大し、新機種を開発してなおかつ人員を養成するという困難な課題を抱えていた点は他国の空軍とまったく変わりません。それでも無理を承知の航空再軍備を行ったことはナチス政権にとって極めて大きな成果をもたらしています。ゼロから開始された軍備が急速に形をなしたことでその実態が程よく隠蔽され、欧州諸国に対して実力以上の脅威を与えることができたからです。

 けれどもこの航空再軍備は当然のことながら息切れしてしまいます。再軍備宣言から3年目の1938年度はそうした絶望的財政状況が顕在化した年度です。ナチス政権は20億ライヒスマルクの増税によって軍備拡大を維持しようとしますが、結局のところ空軍予算は計画上の160億ライヒスマルクから大幅に削減された61億ライヒスマルクしか捻出できず、1939年度予算にしても90億ライヒスマルク程度が見込めるのみ、という事態を迎えています。

 しかもこの水準ですら国内のインフレ傾向を抑えることができないのです。再軍備を強行してあれもこれもと買い漁った結果、ドイツの金保有量はわずか2.4トンに低下していました。要は国庫がスッカラカンで、ドイツ経済の破綻は目前に在った訳です。事実、再軍備以来増強を続けていたドイツ空軍の軍用機生産計画は1938年度で縮小してしまいます。

 ドイツ再軍備の看板として見た目は非常に派手だった空軍第一線部隊も、1938年を迎える頃には深刻な状況にあります。予算と生産能力を無視して再軍備第一世代の機材更新を進めた結果、第一線機増産のあおりを喰って練習機が不足した結果、錬度は低下、事故消耗機は激増、肝心の新鋭機は予備エンジンと補用部品の供給不足でまともに飛べません。機体の生産を「戦時に対応する」という名目で複数の工場に分散させていたことに加えて、生産計画の遅れから、既に生産終了していなければならない機材の注残があるために多数の型式の生産と生産準備が錯綜してさらに計画を遅らせるという悪循環が生まれています。

 Bf109ひとつとっても、1938年1月の生産計画では22機で生産完了したBf109Aを除くBf109B、Bf109C、Bf109D、Bf109Eの各型式がBFW、エルラ、フィーゼラー、フォッケウルフ、AGO、アラドの6社で少なければ10機単位、下手をすれば数機にまで分散して生産中または生産準備中となっています。戦闘機に限らずHe111やDo17などの爆撃機にも同じように複数型式の並行生産と分散がみられます。

 こうした混乱の結果、1938年8月1日現在の可動機/保有機比率は惨憺たる数字を記録します。戦時の野戦飛行場で作戦中ならいざしらず、平時の国内基地でありながらも空軍の第一線機全体で可動機/保有機比率は平均57%にまで低下してしまいます。ニューギニア戦線の第四航空軍でさえ頭を抱えてしまうような数字ですが、それに加えてパイロットの定員充足率はたった66%に過ぎず、そのうち40%もが実戦には通用しない若年パイロットで占められています。無理矢理進められた身の丈に合わない成長計画はこのようなリスクを伴っていたということです。

 この財政危機を救ったのが1938年3月のオーストリアの政治的経済的併合です。併合によって41トンの金を奪い取った(荒っぽい話ですね)ことと、オーストリアが持っていた各種債権を手に入れることでドイツ経済はギリギリで破綻を免れています。おまけに航空軍備を支えるための外貨を稼ぐ目的で生産されたオーストリア向け輸出軍用機はそのままドイツ空軍に戻ってきます。これで一息つけたというのが実情でしたが、いつまで、どこまでひと息つけたかと言えばほんの1年間です。ドイツの軍備計画は次にチェコを併合しなければ再び破綻に直面したことでしょう。

 こんな事情を知ると、この時期のドイツにとって多額の予算を割いて軍用機や航空エンジンとその製造権を買ってくれる日本はこの上もなく有難い存在だったことがわかります。あれこれと言われるDB600系エンジンの購入交渉なども、何がなんでも成立させたかったのは日本陸海軍ではなく、ナチスドイツ政府だったということですね。

10月 20, 2008 · BUN · 2 Comments
Posted in: ドイツ空軍

2 Responses

  1. yas - 11月 1, 2008

    楽しく読ませて頂いています
    しかし前後から邪推するとこの後ポーランドを割譲・併合せずに侵攻したのは借金まみれでうまみがなかったからのように感じます

  2. BUN - 11月 1, 2008

    ありがとうございます。
    コーヒーでも飲みながら、昔の戦争のような浮世離れしたことを考える、ひとつの材料になればと思っております。

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