アルメデレール以前 16 (歯切れの悪いドクトリン)

 1918年に入るとフランス陸軍は新しい航空戦ドクトリンを打ち立てます。1917年の改革のお蔭で航空機生産体制の改善と新機種への更新が進んだことでフランス陸軍は今までに無い攻撃的航空戦を戦う基盤を手にしましたが、ドクトリンもそれに応じた大規模航空攻勢に見合うものへと生まれ変わることになります。しかしこの新ドクトリンは、どうも歯切れが悪い部分が目立ちます。それはどんな点で、どんな事情によるものなのでしょう。

 新ドクトリンは1918年2月11日発令の「敵航空兵力撃滅を目的とした航空部隊の任務」の中にまとめ上げられます。ここで重視されたのは航空兵力の大規模集中と昼夜を問わぬ爆撃による航空優勢の確立でした。サルムソン2A2やブレゲー14が量産に移されてようやくまともな機種が配備されつつあった爆撃機部隊の地位が向上していることが特徴です。大編隊で昼間に敵戦線後方まで爆撃をどんどん実施するというのですから今までとは大違いです。

 けれども急速な機種改変と拡張が行われた爆撃機部隊はまだ組織的にも錬度の面でも不十分で、何よりもフランス陸軍は爆撃機部隊を大規模集中して攻撃的航空戦を実施した経験がありません。そして強力なドイツ軍戦闘機の邀撃を跳ね除けて戦わねばならない昼間爆撃作戦では速度を低下させないように爆弾搭載量を減らしますから、爆撃効果もそれほど期待できなくなります。というか、そんな心配をフランス陸軍はしているのです。そして夜間爆撃は爆撃精度の低下を爆弾搭載量の増加で補える大型爆撃機が必要でしたが、これを実施できる大型爆撃機部隊は未整備です。ファルマンF50はまだ欠陥を抱えていましたし、カプロニに至っては更に問題を含んでいます。アメリカが試作中の新型戦略爆撃機はまだ影も形もありません。

 そんな状況の下で爆撃機部隊に寄せられた期待は、昼間爆撃作戦を敵が無視できない程の大規模に実施することで得られる爆撃の効果もさることながら、そこでドイツ軍戦闘機隊を友軍戦闘機隊との空中戦に巻き込む囮となることでした。フランス軍戦闘機隊は時速220キロの高速戦闘機スパッド13に更新され、しかも比較的錬度の高い精鋭部隊でしたから、数で劣るドイツ軍戦闘機隊をまともに空中戦に巻き込み続ければ最終的には勝利するはずだという考え方です。一番厄介なドイツ軍戦闘機隊さえ始末してしまえば、後は昼間だろうと爆弾を満載した爆撃機隊が出撃できるからです。

 このとき規定された爆撃目標は行軍中の敵部隊、輸送部隊、露営地、兵器廠などです。それはフランス軍爆撃機隊が前進する友軍地上部隊を戦場上空で直接支援するノウハウを十分に持っていないことを示しています。フランス軍爆撃機隊ドイツ軍の3月攻勢を迎え撃つ戦いの中でそれを段々と身につけることになりますが、この1918年2月ドクトリンはまさに予想されるドイツ軍春季攻勢を迎え撃つことを想定して策定されたものです。

 来るべき攻勢でドイツ軍は航空兵力の集中を行って局所的な航空優勢を獲得し、地上軍を航空の傘の下で前進させようとすることは今までの傾向から予想できたので、フランス軍にとって第一の仕事はドイツ軍の航空の傘を守るドイツ軍戦闘機隊を撃破することです。2月ドクトリンはそうした理由で、ともすれば不利な戦いを避けてフランス軍戦闘機隊との正面対決を避けてしまう傾向のあるドイツ軍戦闘機隊を戦闘機同士の戦いに巻き込むことをひとつの課題にしていたのです。

 そんな訳で爆撃機隊の建前としての任務は立派で合理的なものでしたが、陸軍総司令部が爆撃機隊によせた現実的な期待は敵戦闘機を引き付ける囮としての効果と、突進してくる敵地上軍の士気を阻喪させることでした。爆撃機隊がこのように軽視された理由は組織や錬度の問題に加えて機材面にもあります。前年に立てられた第一線機4000機への増強計画達成の見込みも立っておらず、機種の更新も進んでいたとはいえ、性能面で期待できるブレゲー14はルノー発動機の生産停滞のために生産計画を下回り、性能低下を承知で応急的にフィアット発動機を搭載した型式が生産されている状況で、前線の爆撃機はまだ4割弱が旧式のソッピースストラッターやARといった100キロ程度の爆弾搭載量で低速な機体によって構成されていたのです。有力な新鋭機も揃って来たけれど、低性能機も無視できない程多数だったのが1918年3月頃の実情です。

 しかもフランスは世界大戦に参戦したけれども機材を自前で生産できないアメリカ軍に対しても軍用機の供給を同等の優先順位で約束していましたから、ブレゲー14の次に貴重なサルムソン2A2もアメリカ軍向けに割かなければなりません。フランス軍内にはアメリカへの軍用機供給を停止すれば4000機計画は達成できるとの意見も存在していましたが、それでは翌1919年度の大攻勢で、連合軍が頼りにすべきアメリカ陸軍航空隊の戦力養成が停止してしまい、今、ドイツ軍の攻勢を受け止めても最終的に戦争に勝つ道が遠のいてしまいます。短期的にも勝たねばなりませんし、戦争そのものもそろそろ決着をつけなければいかに大国フランスとはいえ耐え切れません。

 とにかく1918年初頭の連合軍にとっては、革命によるロシアの崩壊で東部戦線から大兵力を転用、集中してくるだろうドイツ軍の攻勢を支え切ること、そして強力なアメリカ軍が大陸の戦いに全力を投入できる1919年度まで負けずに戦い続けることが最重要課題です。ましてフランスにとってはその正念場の戦いが1914年頃と殆んど同じ自国内で行われるという点で他の連合国とは危機感が違います。もしまかり間違ってフランス軍戦線が崩壊するようなことがあれば、アメリカ軍の到着前に戦争がどうなるかわかりません。戦争に負けないため、あるいは戦争にできるだけ早く勝つためにフランス軍は失敗できないのです。こうしたフランスの立場に目を配りながら1918年2月ドクトリンの建前と本音を読み解くべきだろうと思います。

2月 9, 2010 · BUN · 3 Comments
Posted in: ドイツ空軍, ドクトリン, フランス空軍, フランス空軍前史, 第一次世界大戦, 航空機生産

3 Responses

  1. おがさわら - 2月 14, 2010

    この記事にレスがつかなかったら、

    「フランス陸軍航空隊の戦いはこれからだ」
    BUN先生の次回作にご期待ください!

    で、このシリーズ打ち切りって本当?

  2. BUN - 2月 14, 2010

    本当です。
    ホントにこれからなんですけれどねぇ。

  3. 出沼ひさし - 2月 15, 2010

    こっちがダメなら、続きはあっちでお願いします。

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