即席空軍大国 8 (複座万能機成立の条件)

 アメリカの国産化計画を眺めていて不思議なのはフランス製軍用機が選ばれていない点ですが、それには理由があります。1917年当時、フランス製の軍用機ではニューポールとスパッドの単座戦闘機が優れた性能を持っていましたが、これらはボーリング委員会が国産化の中止を提言した機種です。単座戦闘機はアメリカで大量生産するよりもアメリカから材料を大量に供給しさえすればイギリスより規模の大きいフランスの航空機工業各社が量産してくれるはずでした。そして興味深いことにボーリング委員会は当時、戦闘機のトレンドはニューポールやスパッドのような単座戦闘機からブリストルF2Bのような複座戦闘機へと急速に移行していると考えています。現にブリストルF2Bは戦場で極めて優秀な成績を示していたので、優秀ながらも生産能力に劣るイギリス機の国産化は正しい選択でした。

 アメリカ遠征軍司令官 パーシングはボーリング委員会の提言通り、1917年11月に「アメリカは単座戦闘機の製造を中止すべきである」と打電しています。アメリカ参戦から約半年後のことで、実はアメリカ国内では参戦時の契約に沿ってスパッド戦闘機の国産化計画がまだ進められていたのですが、アメリカ製単座戦闘機の製造はボーリング委員会の提言に促されたパーシングの決断によって中断されたのです。第一次世界大戦中のアメリカ陸軍航空隊がアメリカ製単座戦闘機を装備できなかった主な理由はこれです。

 そんな中でアメリカが一番初めに手にしたヨーロッパ製軍用機はデハビランドDH4でした。DH4は1917年7月にはアメリカ陸軍の手に届きますが、発動機と装備品を一切含まず、それらは11月までアメリカに届きません。そしてヨーロッパ製軍用機の国産化に伴うアメリカ式生産方式に適合する再設計作業が必要になりますが、発動機の不着を機会に見通しが立ち始めたリバティーへの換装計画が持ち上がり、再設計のついでに作業はどんどん進められます。

 12気筒版のリバティーは重量もあり、アメリカ製DH4はやや頭でっかちの無骨な機体に仕上がります。イギリスでは既に新型のDH9が実用になり、アメリカでのライセンス生産につきものの「量産機が出る頃には旧式化」というパターンにアメリカ製DH4も陥ってしまいます。空力的に洗練され、性能も向上し、燃料タンクを挟んで前後席の連絡が悪いといったDH4の実用上の問題をも解決したスマートなDH9に比べて、角張ったDH4はいかにも旧式に見えます。

 けれどもアメリカ製DH4は原型とは異なり、12気筒400馬力の強力なリバティーを搭載しています。そのために旧式で不恰好ながらも性能面ではDH9をも凌ぐ機体に仕上がっていたのです。1918年の春から量産機が供給され始め、アメリカ陸軍航空隊は自国製の第一線機を初めて装備して戦闘に参加するようになりますが、オリジナルのDH4と編隊を組むことが不可能なほどにその性能差は大きく、イギリス製DH4と編隊を組むには爆装に差をつけるなどの工夫が必要で、ドイツ戦闘機との戦いでも200km/hを超える最大速度と優秀な上昇力、そして強化された機関銃装備はフォッカーDVIIの攻撃を振り切り、後席の連装機関銃で撃退、撃墜することも可能で、アメリカ製DH4は実質的な複座戦闘機としての活動も可能でした。大馬力発動機の開発で遅れをとったドイツ戦闘機に対して、リバティーのような大馬力発動機を装備できたことで複座戦闘機という機種が成立した訳です。こうした発動機開発での圧倒的優位という必須の条件を半ば忘れつつ複座戦闘機万能論は戦後も長く生き延びます。

 アメリカ製DH4の最初の独立した出撃でもその速度と上昇力の優位は発揮され、攻撃を仕掛けたフォッカーの編隊を尻目にDH4はそれを引き離し、上昇して敵戦闘機を低空に取り残して進撃しています。160馬力~180馬力のフォッカーに対して複座とはいえ400馬力ですからこうした対応ができた訳です。このようなDH4の万能性はより専門性の高い複座戦闘機であるブリストルF2Bのアメリカナイズを遅らせた要因のひとつでもあります。

 第一次世界大戦機版「世界の傑作機」のような位置にある良書、Windsock Datafileなどではアメリカが新型のDH9ではなく旧式なDH4を生産してしまったのはアメリカの官僚主義によるお役所仕事の結果として見事に切って捨てられていますが、今までご紹介した通り、そこには工業のカルチャーの違いを超えて大量生産を行うことの困難さとリバティー発動機搭載による性能向上の見通し故の選択があった訳です。アメリカでもDH9の発注は大量に行われていましたが、それは段階的にDH4へと切り替えられていたのです。アメリカ製DH4はライセンス生産機の宿命を大馬力発動機が補った例といえます。宿命的に投入が遅れるライセンス生産機の性能を大馬力発動機への換装で補うやり方はDH4に続く第一次世界大戦中のアメリカ軍用機計画に共通の手法となります。

 そしてドイツには量産できない275馬力のロールスロイス発動機を搭載したことで優秀な「戦闘機」として成立したブリストルF2BのアメリカナイズはDH4と共に進められ、その量産はスパッド単座戦闘機の生産準備を中止したカーチスによって行われる予定でした。そしてアメリカ版F2Bには当然のようにリバティーへの換装計画が持ち上がります。けれどもリバティー搭載F2Bは先行するDH4の装備品をそのまま流用したため重量増加が著しく、当時としては翼面荷重が過大で扱い難い機体となり、試作機が死亡事故を起こすなど試作が難航した結果、機体の再設計が必要となり作業が中断してしまいます。もともとF2Bにはリバティーを搭載する余裕がなかったなど、様々な憶測が存在しますが、大局的に見ればリバティー搭載F2Bの試作中断は1918年春には既に量産機が流れ出しつつあったDH4と重複するものであったことが第一の理由です。

 そしてDH4は1918年後半に行われた連合軍の攻勢を空から支援する任務に投入され、十分な実績を示します。1918年3月から12月までにアメリカ製DH4は4842機が生産されたといわれ、10月、11月には月産1000機の水準に達します。強力な地上攻撃機、高速偵察機、複座戦闘機として有効な機体が月に1000機以上供給されていたのが第一次世界大戦終結時の状況です。1918年11月の休戦時までに、アメリカ製DH4は3227機が領収され、その中で1885機がフランスに向けて発送、うち1185機が到着済、そのうち1025機がアメリカ軍基地で組み立てられて984機が部隊に引き渡され、628機が前線にあり、そのうち457機が即時出撃可能でした。可動率73%という優秀さです。他の機種ではこうは行きません。この強力な航空の傘があってこそアメリカ地上軍の攻勢が実施できたのです。しかもその数は急速に増え続けていました。

 しかし、このような生産計画の基礎を作り上げたR.C.ボーリング大佐はDH4の活躍を自分の目で見ることができません。なぜなら彼は世界史上初めて行われた空陸一体の機動突破作戦である1918年3月のドイツ軍攻勢に巻き込まれ、前線に取り残されて孤立した中で自ら銃を取って戦い、戦死を遂げていたからです。ドイツ軍の攻勢を破綻させるだけの力を持っていたかもしれないアメリカ製DH4の大編隊の登場は、彼を窮地から救い出すには半年ほど遅かったのです。

8月 28, 2009 · BUN · 7 Comments
Posted in: アメリカ陸軍航空隊, 発動機, 航空機生産, 即席空軍大国

7 Responses

  1. ペドロ - 8月 28, 2009

    単発複座戦闘機というと「パイロットが気の毒」というイメージしか沸いてきませんでしたが、六試、八試複戦やキ8にも理想とする姿が、それもきちんと実績に基づいた姿があったんですね。

    >60馬力~180馬力のフォッカーに対して複座とはいえ400馬力

    圧倒的としか。もしこのエンジンで単戦を作っていたら「昭和十五年九月十三日の重慶上空」が二十年以上早くあちこちで見られたかもしれません。

  2. BUN - 8月 28, 2009

    ペドロさん

    ざっと眺めていると何故ブリストルF2Bのような不細工な飛行機が強かったのか、なかなか納得できません。遠い昔の航空ファンの連載ではドイツ戦闘機隊の余りに硬直した戦術がF2Bの善戦健闘を生んだと説明されていましたが、何のことはない。馬力の優位がほぼ全てなのです。
    また、リバティー単戦計画、本当にあるんですよ。

  3. 豪腕少年タイフーン - 9月 1, 2009

    今も昔も、軍用機にはエンジンが全てなのですね。ロータリーかどうかも、あまり関係なさそうに思えてきます。

    非力なエンジンを空力で補っての勝利って、どのくらいありましたでしょうか?ニーンに対するセイバーも軸流の勝利かもしれませんし。

  4. BUN - 9月 3, 2009

    豪腕少年タイフーンさん

    いらっしゃいませ。
    「非力なエンジンを空力で補っての勝利」は戦線の反対側にあります。
    生産基盤の弱さを規格化、標準化で補ったドイツ軍用航空エンジンですね。
    モノコック構造の採用や全金属製機の投入で非力なエンジンをカバーした好例です。

    しかし、タイフーンさん、質問されもしないことを勝手にダラダラ語り続けるこのような文字ばかりのブログ、果たして面白いでしょうか。

  5. 酢駄粉麩津 - 9月 4, 2009

    はじめまして

    戦間期の複座戦闘機万能論、そんなのどう考えても成立しないだろうと思っていたら第1次大戦での強烈な成功体験があったのですね。
    後から「馬鹿げたことを考えてました」と振り返ることは多々あれど、そう言った「馬鹿げた考え」になぜ囚われたのか、まで突っ込んだ話はなかなか聞けない(読めない)のでとても新鮮です。
    現代の感覚からすれば、不合理に見えてしょうがないさまざまな思い込みや勘違いにもちゃんと根っ子があったのだというのが窺えて大変面白いです。
    これからも楽しみにしております。

  6. 豪腕少年タイフーン - 9月 4, 2009

    BUN様 とても楽しませて頂いております。

    私はひねくれ物ですので、参考文献の記載が無いのを逆手にとって、
    BUN様の元ネタの出所を推理するが、とても面白いです。

    「アメリカ戦艦の辿った道」に対しては、キーワードを工夫しながら、
    論文のpdfをいっぱいダウンロードしてしまって、まだ読めません。

    今回のシリーズも、そのうち「元ネタ探し」をさせていただきます。
    (あんなに大量の英文文献をどうやって読破されておられるのですか?)

  7. BUN - 9月 6, 2009

    酢駄粉麩津さん

    こちらこそはじめまして。
    兵器の失敗作を見て、「ばかだね~」「変だよね~」と笑う楽しみもあれば、「なぜ、そんなものを?」と考えてしまう人もいる、ということですね。どちらが深く楽しめるかは・・・何とも言えません(笑)。

    豪腕少年タイフーンさん

    マニアはみんなひねくれ者です。
    ここの話題はどうぞ誰でも御勝手に引用ください、というのが建前ですので、皆さん自己責任でご利用願います。尊敬されるかもしれませんし、馬鹿にされるかもしれません。そして私がここで書いているのは学術論文でも何でもありませんし、そもそも私自身、自称研究者でさえありませんから出典なぞ教えません。タイフーンさんのように楽しまれることも当然織り込み済みです。
    お互い頑張りましょう!

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